(6)詩人氷見敦子・立中潤



立中の晩年は心境は「いつでも殺せる、いつでも死ねる」といった古典的な任侠的なものだったが、そこで初めて晩年の詩群に見られる「死の内面化」が成果を見せる。第一詩集の『彼岸』の支離滅裂と比較するとわかる。
『闇の産卵』
ゆめのにごりからめざめてもあなたはそのままにごりのなかにいなければならない
夜のにごりは朝のにごりのなかにとけこみ
あさはどこまでもあさのにごりのままなのだから
あなたの身体はそんなにごりのなかで大量の闇を産卵する
あなたの大切な胎児も闇の袋でありあなたの大切な恋もあなたの大切な詩語もあなたの大切な…もすべて闇の袋である
自分の子供を食べるうさぎはニンジンを食べるように闇を食べ
自らの肉のかたちに闇をふくらませる
皿の上にのせられたあなたの死児たちはあなたが食べ
消化不良のままあなたの肉のかたちにかさねられる
いつかすべてが闇になるまでたたかいはつづくのだ
肉はそれまで生きた牢獄をかたち作る
魂はしめあげられたまま黙従の血液に分散してゆく 無言の悲鳴をながれてゆくのだ
(遺稿詩集「『彼岸』以後」1976より)
遺稿詩集の中で最高とまではいかないが、日記・書簡集がこの詩のタイトルから採られた程度には成功している。これを氷見の抽象性と較べると、どうか?
『水の人事』
〈静かな店〉なので
音楽がピアノ線の上にこぼれている
磨り硝子を通して
「あきら」の首のまわりに
人工燈が滲んでいます
〈店〉の奥から
柔らかいウェイターの影がわき
魚のメニューが運ばれてくる
魚を売買する鮮やかな声が
近海から溢れているよ
都市までの距離を砕く声の跳躍
漁港を閉じる「あきら」の指が
マッチ棒のように燃えている
(詩集「水の人事」1982より、第一連)