ここで立中最晩年の詩篇から最上の一篇をご紹介したい。珍しく散文型だが、気息は緊張感を備えている。長いので部分抄出になる。発表は死の3週間前の同人誌誌上になった。
『十月』 立中 潤
1*
腐るためには動く必要はない。ただ そこに居ればひとりでに腐ってゆける。きみは死の中をながれているのだから もう死ぬことからでさえつき離されている。恐れるものは何もない。つらい時間のながれの他には。きみはきみの腐敗を生きてゆくのだ。日々のうすぐらい沼で醒めているきみの眼球のみが きみの行き先を決めてくれるだろう。肉は眼球を囲繞する重圧の衣だ。きみの抱いてきた女の身体のように いつまでもやわらかな触首を伸ばしてくる。帰らない日々を思い出すようにきみは肉の柵を見る。そのとき きみに視えてくるのは滅びの懸崖をうろついている魂 であり 死者たちの無言のざわめき だ。(…)
2*
御茶の臭いでさえ生の香りがする。畑に拡がっている作物たちも生きる臭いを強烈に発散している。十月の寂しい夜にひとり発光しているきみ!は 枯れてゆくものからも生きてゆくものからも遠くつき離されている。(きみ自身からも?)。日々は圧迫ばかりを積み加え きみは身いっぱいでそれを受けとめている。理由もなにもありはしない。敵たちのにぎやかな生存がみじめに氾濫しているだけだ。きみと同じように理由をもたぬものたち。(否! きみは理由を細々に打ち砕かれたのだ。) 彼らはきみのみじめさを最大限増幅してきみに見せてくれる。世界はこんなにも明るくて……。砕けたきみの型 を一枚の衣粧で隠蔽することはできぬ。(…)
3*
きみの絶望はきみだけのものだ。安価に売却できぬきみの生存そのものだ。抑圧と圧政のみがあったきみの少年の日々からきみの生存は地続きになっている。胸の襞のうづきでしか答えられぬ幼い屈辱の数々。怒ることもなく笑うこともなく現場を立ち去ることしかできなかったきみ が遺留し続けたものは何だ。膨らみきっていたきみの悲哀。つめたい悲哀は孤独の吹きっ晒しにはいつでもふりつもっているものだ。まるでそれのみが救いの堆積でもあるかのように。(…)
(詩集「『彼岸』以後」1976より)
ここから立中は出発することもできただろう。だが彼は死を選んだ。