人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(13)詩人氷見敦子・立中潤

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

立中潤遺稿詩集「『彼岸』以後」は失敗に終った第一詩集「彼岸」の刊行(74年11月)、第二詩集の破棄(75年3月)以後に執筆された。立中の死は75年5月20日、全13編のうち生前発表のものは4分の1もなく、これらの作品によって立中が改めて着目される、という機会もなかった。

『痛みの年代史』
*
まっしろにしぶく波達は
きみのはだかの手の中に
かたい闇を産みつけ
やわらかな実在の闇にその手
を解き放って去っていった

愛の彼岸にはいまも
撃たれた魚達が大量にうちあがったままだ
なみうって光った金の甲羅も
ただの硝子の渦に変じてゆく その底で
砂に埋もれた未知の貝達の舌が
伸びきれずに痛がってめくらみする
美しい海草にまとわれ
残酷な健康の鎧で自らのからだをまとって

少年達の合唱の隙間からこぼれ落ちる日々は
明るい地獄をねじれている若い貝達
をいくつもつなげさらさらと移動する
そして少年達の顔に浮かぶ悪意が
生命線を刻むあたりで
自らを割り続けているきみの流れと
鋭いリン光を放って激しく反撥しあう
魚達のうちあがった近くを
愛のないきみのボートは
漂いの航路をただすべりだす
こわれたオールのそばを
さめ達がいくたびもはねるが
彼らには自分の鰭の痣さえよく視えていない
崩壊の光源も知らずに
珍奇なエサを自ら鋼鉄の鞘にさしてそれにとびつく
ボートで一人寝そべるきみの皮膚は
瞑目の闇ばかりをあるいは空ばかりを吸収している
なにも視えない空と
ボートの測線を音もなくあぶれてゆくきみ
のからだの嵐に確かにぶらさがって
皮膚の下の嵐こそ
産出の泡立つ海域
だリンゴのようなつるみの斜面をすべり
きみの深い海でおぼれる少女達
の口唇が吐く爽やかな果汁をみろ
砕けた聖果のいっぱいつまったその口唇に向けて
津波ははげしく催され きみの嵐
は行為のうすぎたないころもを着た敵達
の土地に白昼あふれでる
(…)
(詩集「『彼岸』以後」より)

詩集の巻頭から2番目の作品、推定執筆時期は75年3月だが、これまで紹介してきた「彼岸」の表題作、『大量死』『哀歌』よりはるかに表現は焦点を結び、最晩年の最高の作品『十月』を予感させる。この集中力は晩年の立中、氷見共に異様なまでに見られる。