人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人論・その他のエッセイ

イメージ 1

○コメントと断片より

(1)このふたりは本来なら並べて語る作風ではないわけです。ただ、生まれ年からすると同世代なのにとてもそうは見えないんですね。だから並べてみるとその詩人単独では見えなかった現代詩の問題というものが出てくる。ぼくは立中は20歳前から、氷見は全集が出た20代半ばからの読者なので思い入れは立中に深い。文学に見識がある友人・知人に立中を薦めるとみんな好評でした。このシリーズはもう第10回まで書き溜めてあり、もっと続きます。本格的に論じられた文章がほとんどないマイナー現代詩詩人なので、ここで展開している詩人論はまったくオリジナルなものです。それだけが取り柄になるでしょうか。

(2)映画について書こうとして原作者のことから書き始めたら、結局1時間で原作者のことだけ書いて終ってしまったのでこれは「文学批評」というゴミ箱に突っ込みました。児童がこの映画見ても楽しめるけど、皮肉や諷刺的側面は素通りするかもしれませんね。
ちなみに原作は翻訳当初から日本でも好評で、次々と未訳作品も翻訳されましたが、「チョコレート工場」をしのぐものはなかった、という印象があります。どれもつまらないものはありませんでしたが、「チョコレート工場」は突出していました。

(3)大変なんだね。うちはクリスチャン・ホーム(という)なので教会の行事はあったけと自分の家では何もなかった。タイミング的に初盆が2回あるっていうのも面倒だが仕方ないね。本家ってことはお嬢さんのどちらかが婿をとるの?それも大変だなあ。

(4)それが皮肉なことなんだけど、宮沢賢治のような詩人の場合は「農本主義ファシズム」という批判も一理あるんだよ。これは(農本主義でなくても)一般的に詩人が陥りやすい罠で、これを断固拒否するのはそうとう難しいのは歴史が証明する。立中潤とは直接関係する話題ではないけれど。

(5)なるべく作品そのものを紹介するように心がけます。立中潤、氷見敦子とも今は絶版になっていて古書店街でもネット通販でも滅多にない、という有り様です。もし存命なら立中すら60歳にすぎず、初老というにも若いくらいでしょう。生きていた年月より亡くなってからの歳月の方が長い。今でも彼らよりも自分の方が年輩になったという実感がないのです。しばらく毎日掲載しますので、お読みいただければ幸いです。