人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(16)詩人氷見敦子・立中潤

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氷見敦子の名を現代詩に刻んだのは「氷見敦子詩集」で、刊行は没後の86年10月、著者の一周忌になる。84年9月~85年11月(遺作)に発表された14篇からなる。遺稿なので詩篇は年代順に並べられている。次の詩は巻頭作品にあたる。

『消滅してゆくからだ』
眠りについた男の腕のなかから
昨日よりもさらに深い夢の奥へ入っていく
その女のからだが水の通路になっていて
水音が聞こえる、どこかで
水道の蛇口が大きく開かれているのか
流しを打つ水が溢れて台所を飲み込んでいく
気がつくと脳のなかまで水嵩が増し
わたし、少しずつ死んでいくみたいだ

隣のアパートの屋根が闇の表に黒光りしている、その下には
蜥蜴を飼っている女が棲んでいるのだと
いつのまにか思い込むようになった
真夜中、
ひっそりと明かりのともる窓から
女の吐き出す熱っぽい咳が絶えまなく聞こえる
咳と咳のすきまに水が流れた
大量の水が夢の奥へ流されていく、水の底には
頭部が異常に発達した蜥蜴といっしょに溺死した女が沈んでいる
死んだように生きるよりも、想念の
死体となって永遠に生きていくのよと言い放った
女の唇だけがまだ微かに笑っている
かつてふたつの目玉があったところには
井戸が掘られ
いまでは無限そのものを
井戸の底から見据えることができる
畏れることなく
女の視線が宇宙のかなたへ向かっているのだ

わたしはまだ夢の奥で水の音を聞いています
からだを貫いて流れる、流れていく水音が
いっさいの音という音を掻き消していく、水が流れて
とめどなく流れていく水は、きっと
惑星の果てに注ぎ込んでいるのですね
もう肉体など必要ない
女のからだが虹のように空にかかるのがみえる
(「氷見敦子詩集」より)

まとまりはいいが、これ(女性詩誌「ラ・メール」発表)と詩集で次に置かれた『アパートに住む女』(「現代詩手帖」発表)は「女」をテーマにした前詩集「柔らかい首の女」の補遺といえる。発表誌が初の商業誌なので掲載月が遅いのだろう。巻頭から三番目の詩篇『神話としての「わたし」』は84年9月同人誌「SCOPE」発表、ここから「井上さん」が登場し、絶筆『鍾乳洞へ降りていく』までの異様な文体が試みられるようになる。