人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人論・その他エッセイ2

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○コメントと断片より

(1)どうぞ、ご自分でお書きになったことですから転用なさってください。どのあたりが書いてみて初めてお気づきになったところなのかはわかりませんが…。ぼくも書きながら気がつくことは多いです。筆写というのは現在ほとんど尊ばれませんが、詩句を一語ずつ慎重に写すのは詩人の思考過程の遂体験にもなる。「書きながら考える」ことにも根拠はあるのです。

(2)いわゆる「自殺」とはかなり異なる様子がありますね。しかし自殺者に共通する「現世の放棄」というのは立中にもあり、自殺者ではない氷見すらある。無気力というのとは違うでしょう。氷見などはもはや食事も摂れず栄養と鎮痛点滴だけ、排泄もできない寝たきりの延命治療の病床にありながら詩作を続けています。立中も死の直前まで詩作だけはやめなかった。彼らの詩に何の価値も見出ださない人には痛々しいだけの話ですね。

(3)批判を正当に判断して生かす、というのは相当難しいと思う。不当な批判もあるだろうし、感情的になるのもよくあることだし。でも批判より悪いのは意図的な無視だからね。

(4)正当に読んでくださってありがとう。この詩にはもはや生への執着も死の恐怖もなく、完全に自己を客体化した目で詩句が綴られています。当然他人の同情や共感をもはねのけた、自分だけの死を綴ったものです。体調悪化から死まではほんの1年に満たない急速な悪化でしたが、その間の詩編を集めた遺稿詩集「氷見敦子詩集」はこの最終作品が頂点になります。立中潤はあくまでも自分で選んだ自殺、氷見は運命のように訪れた悪疾だった違いは大きなものです。

(5)そうですか。家具に全然関心がないものでお答えしようがなく、すいません。こちらで取り上げているロックはアメリカでもイギリスでもない周辺国をご紹介しているもので、きわめてオルナティヴなものです。その意味では、ロック好きの人ほど無関心なラインナップと言えます。

(6)立中「十月」、氷見「鍾乳洞へ降りていく」などを読むと、相当研鑽を積んだ詩人がのっぴきならない地点で紡ぎだした詩なのはすぐわかるでしょう?そういうことです。

(7)取説詩(笑)。飲み屋のトイレによくあるね。「みんなにんげんだもの」の類(笑)。要は、疑問からではなく結論から書かれていること。しかも幼稚で安易な。