本文全20回、序・跋回も入れて22回でようやく「詩人氷見敦子・立中潤」は完結する。すでに書くべきことは書いたので、跋では落ち穂拾いとでも言うべきことが主になる。
たとえば前回の氷見敦子『「宇宙から来た猿」に遭遇する日』は85年10月号の「現代詩手帖」掲載で、同人誌発表では7~9月にも作品がある。同人誌では不定期刊のため発行月は号数と別に明記されるからかえって問題がないが、商業誌である「現代詩手帖」10月号は9月(たしかあの頃は1日)発売だろう。編集・制作とお盆休みが重なる(印刷所が休みになる)から入稿・校正は前倒しで7月末・8月第一週か。細かいことを気にするようだがこれは9月に遂に末期胃癌の本人告知があり、『宇宙猿』に続く絶筆『鍾乳洞』を延命治療の病床で書き上げ、10月6日には30歳で急逝する詩人の足どりなのだ。
絶筆となった『日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく』は8月下旬の鍾乳洞見学に取材したものだが(『宇宙猿』執筆後)、詩の題材とするための興味か、そうした場所に惹かれるものがあったか。たとえば事実婚から1年半、こんな詩句がある。鍾乳洞行きと同時期、急逝から2か月前に発表されている。
*
井上さんの机の前のボードに、写真が、ピンで止められている。
「ベランダで洗濯をする氷見敦子」の写真。その写真から
少し離れて、「ちりとりと箒を持つ和也」がいる。
和也、という小さな甥の名前を呼びつける、井上さんの声が、
ときおり、四畳半から聞こえてくる。
(和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、和也、
(血の杯を浴びるほど飲む人がいて、夢の家の
(長い廊下を銀河の方へ歩いていく
八王子では、恵子さんが男の子を生んで育てている。
練馬区では、紀子さんが女の子を生んで育てている。
フランスでは、まゆみさんが男の子を生んで育てている。
江東区では、祐子さんが女の子を生んで育てている。
わたしは男の子も女の子も生まず、どんな子供も育てていない。
わたしは、「わたし」を育てているのだ。密かに……。
(『井上さんといっしょに小石川植物園へ行く』)
150行以上ある複雑な構成を持った作品だが、この「*」で区切られた3連の断章は際立っている。
立中については残念ながら今回は紙幅がない。またいずれ。