ドルフィーは生涯2週間しか自分のバンドを持たなかったから(61年7月のドルフィー=リトル・クインテット)、生前に正規録音された自己名義のアルバムは12枚(それすら半数は死後発表)、発掘録音が30枚、サイドマン参加作が50枚になる。6年間でこれだけレコーディングして生活するのはやっとだった。
ドルフィーの参加作は正式にメンバーに加入していたチャールズ・ミンガス・ジャズ・ワークショップが最多で、ジョン・コルトレーン・クインテットが発掘音源も含めるとそれに匹敵し、後はロサンジェルス時代のチコ・ハミルトン・クインテットになるがまだ本領を出していない。むしろロス時代から親しかったオーネット・コールマンとの2回のセッションに重要性がある。
まず最初のオーネットとの録音は60年12月20日の「ジャズ・アブストラクション」(画像1)で、ジョン・ルイス(モダン・ジャズ・カルテット)名義のアルバムだがこれはプロデュースだけで、「チャーリー・パーカー以来の音楽的革命」とルイスが称賛したオーネットをフィーチャーしたセッション作品だった。スコット・ラファロ(ベース)、ビル・エヴァンスの参加も注目される。オーネットとドルフィーの違いもはっきり判る。
オーネット・コールマン・ダブル・カルテットの「フリー・ジャズ」(画像2)はその翌日録音で、オーネット(アルト)にドルフィー(バス・クラリネット)、2トランペット、2ベース、2ドラムスがAB面37分1曲インプロヴィゼーションを展開した画期的作品。フリー系ジャズのみならず、コルトレーンの「アセンション」もマイルスの「ビッチズ・ブリュー」もみんなここから出てきたのだ。
(しかも「フリー・ジャズ」と同日にドルフィーは自己名義の名作「ファー・クライ」も録音した)。
ドルフィー参加の名盤は数多いが、初心者からマニアまでいける逸品はオリヴァー・ネルソン「ブルースの真実」1961(画像3)だろう。ネルソンはサックスは平凡だが作・編曲の名人で、全曲オリジナル、しかもブルースだと言われなければ判らない。リズム隊がビル・エヴァンス(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ロイ・ヘインズ(ドラムス)と超一流で、これにドルフィーとフレディ・ハバード(トランペット)が加わるのだからたまらない。ドルフィーとエヴァンスのミスマッチがすごい。