人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画「復活」(D・W・グリフィス, 1909)


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復活 Resurrection (Biograph Company, 1909.5.20) Silent, B&W, 12mins (originally Speed Screening : 15mins) : https://en.wikipedia.org/wiki/Resurrection_%281909_film%29?wprov=sfla1
https://youtu.be/SOl6KhNULCw?si=JnZzPip_7Vyp_YTR
https://youtu.be/jaRyGMyD270?si=fHTrPwJvbdLkAhtf

Based on Leo Tolstoy's 1899 novel "Resurrection", Adapted for the Screenplay by Frank E. Woods, D. W. Griffith, Cinematographed by Billy Bitzer, Directed by D. W. Griffith.

 19世紀ロシアの小説家レフ・トルストイ(1828~1910)の『復活』(1899年)は、『戦争と平和』(1869年)、『アンナ・カレーニナ』(1877年)と並んでトルストイの三大長篇小説として上げられますが、日本語訳の文庫版で4巻~6巻におよぶ『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』より規模の小さい作品ながら、『復活』もまた文庫版で上下巻750ページ(新潮文庫版)から1000ページ(岩波文庫版)におよびます。膨大な登場人物と交響楽的な構成を持つ『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』に較べると、『復活』は主人公の男女二人の悲劇的ロマンスにテーマが絞られているだけわかりやすく、またトルストイの国際的名声が定まって次作の刊行が待望されていた時期に発表されたため、トルストイの三大長篇ではもっとも親しまれた作品になりました。トルストイは1910年に82歳で単身放浪の途中で亡くなりましたが、トルストイ生前の1909年に『復活』はロシアとアメリカで映画化されています。ロシア版はフィルムの散佚により、今後プリントが発見されない限り観ることができませんが、アメリカでの初映画化はプリントが現存しており、現在でも古典的映画遺産として重視されています。

 もっとも映画史において40分~2時間の長篇映画が現れるようになったのは1912年~1914年のことで、さらに1906年~1908年頃までは「ニッケル・オデオン」と呼ばれるように、トリック撮影やダンス映像、有名戯曲の名場面集やショート・コントを見世物にした、5分~10分の短篇映画の時代でした。この「復活」も1.5リール(1リールは約10分)しかありませんが、ようやく映画が劇映画を意識して制作されるようになった最初期の作品で、のちに3時間を越える大長篇映画『国民の創生』(1915年)、『イントレランス』(1916年)で決定的な長篇映画時代をもたらした、D・W・グリフィス(1875~1948)が1908年に映画監督デビューした翌年の「復活」はまだ映画界全体もグリフィス作品も劇映画の黎明期で、技法も舞台劇のように俳優のセット内の演技をそのまま撮影する、といったものでした。グリフィスは1909年~1912年には「小麦の買い占め」「ピッグ・アレーの銃士たち」といった短篇でようやくパン、移動撮影(手持ち撮影、レール撮影、クレーン撮影、空中撮影)、モンタージュ、クローズアップ、カットバックら今日に引き継がれる映像技法を確立するので、「復活」の時点では基本的にワンシーン・ワンカットで舞台劇を観る観客の視点から物語を伝えるにすぎません。しかも1.5リールの短篇映画で大長篇小説『復活』を映画化しようという無謀な企画です。『復活』は世界各国でサイレント映画時代に13回、トーキー以降に11回、通算24回も映画化されていますが、このグリフィス版は同年のロシア版とともに最古の映画化であることで映画史に名を残します。脚本家のフランク・E・ウッドとともに共同脚色した、グリフィス版の短篇映画「復活」のあらすじを見てみましょう。
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(1-1)場面は青年貴族ディミトリ・ネフリュードフ(アーサー・V・ジョンソン)の帰国祝いのパーティーから始まります。着飾った社交界の女性たちに持てはやされる中、ディミトリ公爵はメイドのカチューシャ(フローレンス・ローレンス)の素朴な佇まいに目をとめて、花束の中から一輪の薔薇をカチューシャに与えます。
(1-2)カチューシャも一介のメイドにすぎない自分へのディミトリ公爵の優しさに惹かれ、公爵に渡された一輪の薔薇を持って自室で物思いにふけります。カチューシャを追って部屋で二人になった公爵は熱烈にカチューシャに迫り、二人は熱く抱擁しあい、キスします。
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字幕「Five years later in a low tavern」(五年後、安酒場で)
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(2-1)下町の安酒場で、堕落した姿に変わり果てたカチューシャが映されます。店主(マック・セネット)や酒場の女たちのといざこざの中、踏み込んできた警官たちが女たちを警察署に連行します。
(2-1)裁判の陪審員に選ばれ、法廷で佇んでいたディミトリ公爵は、裁判に連行されるカチューシャとすれ違い、大きなショックを受けます。
(2-2)公爵はカチューシャの弁護に立ち、減刑を懇願しますが、陪審員(マック・セネット、オーウェン・ムーア他)たちはカチューシャをシベリア送りにする判決を下します。
(2-3)カチューシャは拘置所に引きずり出され、ぼろぼろの衣服をまとった男女の最下層の囚人たち(マリオン・レオナルド他)とともに収監されます。

(3-1)悔い改めたディミトリ公爵は、監獄のカチューシャを訪れ、一冊の聖書を手渡します。カチューシャは最初面会人が公爵と気づきませんでしたが、気づくと激怒し、渡された聖書を振り回し公爵を追い払おうと殴りつけます。
(3-2)公爵が去ると、カチューシャは聖書を膝の上に置いて不機嫌そうに椅子に腰掛けます。カチューシャは聖書のページをめくり、その一節(ヨハネによる福音書11章25節)に目を落とします。
(3-3)聖書のページのアップ「イエスは彼女に言われた。わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも、生きているであろう。」
(3-4)カチューシャは歓喜の表情を浮かべます。 救いの希望を抱いたカチューシャは聖書を読み続けます。そこに刑務官(マック・セネット他)たちが到着します。
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(4-1)シベリア送りになったカチューシャは最下層の囚人(マリオン・レオナルド、オーウェン・ムーア他)たちと雪の中を進みます。強制労働に従事する囚人たちに、常に聖書を携行したカチューシャは囚人たちを労り、看護し、奉仕し、信仰による救いを説いて慰めます。
(4-2)ディミトリ公爵はカチューシャの恩赦を勝ち取り、シベリアの地を訪れます。 公爵はカチューシャに恩赦状を見せ、妻として迎えたいと懇願します。 しかしカチューシャは公爵の願いを拒否し、シベリアの地で信仰と奉仕に従事したいと告げて公爵を見送ります。一人になったカチューシャは、山のふもとの雪の上にひざまずいたまま、黒地に白の十字架の装幀の聖書を抱いて祈りを捧げます。

 以上、この12分の短篇映画は4部構成で、各部は約3分で構成されています。1カット中に多少のパンニング(固定カメラの軸から、垂直または水平方向にカメラを振る撮影法)はありますが、第1部で2カット、第2部で3カット、第3部で4カット、第4部で2カットの全11カットしかなく、字幕も第1部と第2部の間の「五年後~」と、第3部3カット目の聖書のページのアップしかありません。第1部と「五年後」(原作小説では八年後です)の第2部には断絶があり、ディミトリ公爵がカチューシャを娶ろうとして身分差から結婚がかなわず、解雇されたカチューシャが酒場の娼婦に身を落とすまでの過程は描かれていません。またカチューシャの逮捕・シベリア送りは娼館を兼ねた安酒場で起きた殺人事件絡みなのですが、この短篇映画の映像では違法酒場の一斉検挙程度の描き方しかされていません。その辺りは当時の映画規制上描けなかったのか、アメリカでも特大ベストセラーになった原作小説を読んでいるか、あらすじだけでも知っている大衆の予備知識に任せたものでしょう。今日の映画(また1912年以降のグリフィス作品)と較べれば「演劇撮影の抜粋」「動く紙芝居」のような素朴さですが、115年前(!)の劇映画がどのようなものであったかを知るにはもってこいの作品です。残念ながら数年後のグリフィス作品のようにくり返し上映される人気作にはならなかったため、現存プリントの状態は芳しくありませんが(サイレント時代の映画にも素晴らしい画質で残されている作品はたくさんあります)、グリフィス専属カメラマンで世界中の映画カメラマンに影響を与えたビリー・ビッツァー(1872~1944)の初期の撮影作品としても価値の高い短篇映画です。

 短篇映画時代のグリフィスは2週に1本ペースで新作を発表していたので、この作品もグリフィスにとっては習作時代の一篇にすぎないとも、そうした製作ペースにあっては野心作かつ力作であったとも観ることができるでしょう。当時のバイオグラフ社のスター俳優アーサー・V・ジョンソンやフローレンス・ローレンス、すでにベテラン映画女優だったマリオン・レオナルドに加え、渋いバイ・プレイヤーのオーウェン・ムーアやのちに「キーストン映画社」を設立して大成する助監督マック・セネットが酒場(娼館)の店主、陪審員、刑務官と数種の兼ね役で出演しているのも面白く、社交界シーンも安酒場も裁判シーンも監獄も強制労働地シベリアも最小限のセットで書き割りに近いものですが、当時はまだハリウッドの撮影所がなく(ハリウッドに撮影所が拓かれたのは1910年代、それを映画撮影都市に拡大させ、定着させたのは、当時の大監督だったグリフィスやセシル・B・デミルの功績です)、ニューヨークの小撮影所で効率優先の映画製作がされていたので、このたった12分(24コマ/分の場合。おそらく当時は18コマ~20コマ/分・15分~16分の上映時間だったと推定されます)の「復活」は劇映画黎明期の見本として古典的な価値を誇ります。何よりまだ『復活』がトルストイの最新作としてベストセラーを続けていた時代、トルストイ生前の映画化という点で、原作小説『復活』とこの短篇映画「復活」は当時の映画脚色の上からも興味が尽きません。「映画について考えるということは、グリフィスについて考えることだ」(ジャン=リュック・ゴダール)。グリフィスが真に「映画の父」と呼ばれる由縁は1912年以降の作品群にありますが、トルストイの『復活』をお読みの方、あんな大作まだ読んでいないという方のどちらにも、この短篇映画「復活」は面白く観ることができる作品です。アメリカのみならずトルストイきってのポピュラーなベストセラー大作『復活』が、トルストイ生前どう読まれていたかを証言してくれる短篇映画でもあります。長篇映画時代なら2時間~3時間におよぶ内容がたった12分に凝縮されている作品として、映画、そして映像とは何かを改めて考えさせてくれる歴史的遺産です。