人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

短歌と俳句(19)石原吉郎18

詩人石原吉郎(1915-1977)の短歌と俳句については入隊生活(1941年)以前にすでに文学的嗜好を決定しており、戦後の新人では俳句なら金子兜太(1919-)、短歌なら塚本邦雄(1920-2005)に親近性が高い。前回までに石原の文学青年時代までの俳句の動向は見た。 現代…

アル中病棟の思い出16(特別編2)

・前回掲載したKくんの双極性障害と人格障害の事例リストの続き。 〈躁状態から人格障害へ〉・他人、世間への軽蔑が高まる ・時間感覚が乱れる ・意図的に演技的行動をとるようになる ・他人を試すような挑発的行動をとるようになる ・特定の時期の記憶に執…

短歌と俳句(18)石原吉郎17

「短歌と俳句」として詩人石原吉郎(1915-1977)の短歌と俳句を見る場合、その青春期までに短歌と俳句の世界ではどのような動向があったか検討する必要がある。石原の経歴は五年間の軍隊生活と八年間の俘虜生活があり(1941年~1953年)帰国の翌54年には早くも商…

アル中病棟の思い出15(特別編1)

・以下に掲載するのが五日間で観察した最初のルームメイトKくんの躁鬱症例予測で、ことごとく思い当たると驚愕されたもの。双極性障害からくる症例と人格障害の事例リストで、退院したらこれを絶対本にしよう、売れるぞ!とKくんが自費出版まで言い出したも…

短歌と俳句(17)石原吉郎16

「短歌と俳句」と題しながら第一回で寺山修司を取り上げたきり、後は詩人石原吉郎(1915-1977)だけを延々考察しているのは決して当初の計画ではなく、現代詩の立場から短歌と俳句を相対的に見る、その最初に石原吉郎を持ってきた(寺山修司は軽い導入部にすぎ…

アル中病棟の思い出14

・3月7日(日)雨 「明日は第二病棟に移るので、今日中にKくんの症例予測をできる限り作っておこうと、せっせと少しずつ書いては見せ、ことごとく思い当たると驚愕される。彼との応答からさらに推定し、半ば問診に近くなり、夕方までに双極性障害からくる症例…

短歌と俳句(16)石原吉郎15

詩人石原吉郎(1915-1977)は、俳句においてはいわゆる「新興俳句」の系譜を継ぐ。新興俳句とは保守本流の高浜虚子門下の精鋭だった水原秋桜子、山口誓子、中村草田男らの連作・無季俳句の実験が発展したもので、秋桜子らはやがて形式的には定型・有季俳句に回…

アル中病棟の思い出13

・3月6日(土)雨 「D先生による素行診断で月曜日から第二病棟(アルコール依存症治療病棟)に移ることになった。煙草もやっと自己管理になる。Kくん、Mさん、Sくんに喫煙室で報告。三人ともしきりに残念がる。風の又三郎だな、とMさんがうまいことを言う。面映…

短歌と俳句(15)石原吉郎14

前回は先に佐佐木幸綱による論考から見たが、藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」ではもっと現代詩詩人が短詩型定型詩に向う時の機微に触れており、結論は佐佐木の「表現することの虚しさ」と近いとしても、論法に大きな屈折と飛躍があり、きわ…

アル中病棟の思い出12

・3月3日(水)晴れ 「朝の血圧測定では上120下90という尋常なものに戻る。処方がこれまでの3種類からいきなり13種類に。尿もオレンジ色になる。朝食後は朝会まで仮眠、その後すぐ介助浴になる。介助など不要なのだが、アル中入院の患者はこれが規則なのだろう…

短歌と俳句(14)石原吉郎13

詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌については、もう一編、歌人・佐佐木幸綱による「物語の可能性と沈黙の詩」があり、藤井の屈折しがちな論考とは対照的に、すっきりした論考になっている。 佐佐木は石原の短歌全体について、こう指摘する。 「石原の歌集…

アル中病棟の思い出11

前回は2010年3月2日、入院初日の日記をほぼ忠実に起こしたものだ。アルコール依存症と診断され入院が決定してから一か月近く間が空いたのは、病院から指定された入院日が確か2月の末か3月のこの日だったからだった。空きベッドの具合とかいろいろあったのだ…

短歌と俳句(13)石原吉郎12

詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、短歌と詩の関連を、先行する散文詩に見る。 『藤1』 幽明のそのほとり…

アル中病棟の思い出10

・3月2日(火)曇り・小雨 「M市のY病院に入院第一日目。バスを逃してタクシーで着く。バスの三分の一の所要時間で着いた。受付時刻より早く着いてしまい、入院の前にまず外来病棟で診察があるので小一時間待つことになったが、かえって緊張と不安感からひどい…

短歌と俳句(12)石原吉郎11

詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、急逝の前月に雑誌掲載された清水昶との対談から石原の作歌の動機の自己…

アル中病棟の思い出9

こんな冗談みたいな理由で(以下同文)というのも二度目ではもう諦めがついていた。以前別の病院に入院した時お世話になった作業療法のドイ先生の言葉を思い出した(ドイ先生は音楽療法の先生なので、精神科医ではない)「お医者さんなんて病名つけるのが仕事な…

短歌と俳句(11)石原吉郎10

詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、急逝の前月に発表された清水昶との対談から作歌の動機を訊かれた石原の…

アル中病棟の思い出8

入院前の、最後のアベさんの訪問看護の時、アルコール依存症治療についてはひととおり訊いた。アベさんはアル中治療日本一の久里浜病院に研修経験があるのだ。アベさんは具体的に、丁寧に説明してくれたのだが、その時はまるで実感がわかなかった。それのど…

通院日記・11月20日(水)晴れ

午前中は眼科の受付時間の正午ぎりぎりまで自宅で読書して過ごし、今日は幸い空いており、顔を出すなり受付の女性スタッフに心配と驚きの混じった声で「佐伯さん!?」と叫ばれてしまいました。昨日は一時間半待った挙げ句、「すいません、気分が悪いので日を…

アル中病棟の思い出7

こんな冗談みたいな理由でアルコール依存症と断定され入院を命じられるのか、と即座に言語化して考えたわけではないが、とっさに口にしたのは、 「なぜですか?」 他に言いようがなかった。それから、どなたでも想像できるように、虚しい押し問答になった。 …

短歌と俳句(10)石原吉郎9

詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌について、急逝後すぐの書き下ろし論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、76年7月「詩の世界・第5号」に同時発表された詩三編・俳句三句・短歌二首から主に歌集「北鎌倉」について論じ、村上一郎…

アル中病棟の思い出6

「2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとっての、いわば1970年11月25日だった」 というのは、もちろん三島由紀夫の2.26模倣事件のことだ。三島は聡明だったから、あんなことは失敗するのは織り込み済みだった。成功の可能性はほとんどないが、成功すれ…

通院日記・11月18日(月)晴れ

・夢の世に葱を作りて寂しきよ ―とは20世紀の大俳人・永田耕衣の名句集「驢鳴集」の中でも白眉の一句。葱の句の名作では、趣きは異なるが、飴山實の、 ・なめくぢも夕映えてをり葱の先 ―と甲乙つけ難い。ただし季節が違う。耕衣の葱は冬だろう。飴山の句は、…

アル中病棟の思い出5

「2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとっての、いわば1970年11月25日だった」 というのは、現任牧師の罷免決議の年次総会で、真っ先に発言した後だった。いや、正確には帰宅して安ワインをあおり始めてからそれに気づいたのだ。 まず、それまで誰にも…

短歌と俳句(9)石原吉郎8

詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌については、急逝後すぐの書き下ろし論考が二編「現代詩読本-2・石原吉郎」78.7に収録されていると前回で触れた。そのうち、藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、すでに検討した通り、76年7月「詩の世界…

アル中病棟の思い出4

2010年1月24日・日曜日がこの文章の筆者にとってのいわば1970年11月25日だった。時刻も12時15分頃と、ほぼ同じだ。 その日曜日、教会では現任牧師罷免について礼拝後の年次総会で決定することになっていた。総会出席者の全員が罷免に賛同で、牧師擁護派は牧…

短歌と俳句(8)石原吉郎7

やれやれ、やっと見つかった。「みずかき」を一字で当てた漢字を筆者は国語・漢和辞典でも探し当てられなかったのだが、部首で見つからないなら音読みで見つからないかと漢和辞典を引いたらやはりなかったが(俗字・廃字の部類なのだろう)、携帯では「ボク」…

アル中病棟の思い出3

これまでの四回の入院では救急車二回、クリニックとの連携で市役所の福祉課担当者氏に公用車で病院に運ばれたのが一回になる。いずれも緊急入院だった。アルコール依存性更正治療科の入院施設のある精神病院は隣町にあった。今回の入院の場合は精神症状とし…

短歌と俳句(7)石原吉郎6

「荒地」グループの詩人でも、鮎川信夫と北村太郎(1922-1992)はもっとも石原に注目していた。鮎川は石原を世に出した人だから当然として、北村は「荒地」では珍しく俳句を解する人だった。 北村による石原吉郎句集評「『ゆ』のおかしみ」は詩誌「四次元」77…

アル中病棟の思い出2

このブログでは珍しく、続きを楽しみにしています、というコメントをいただいたのが一昨日に掲載した、「アル中病棟の思い出」という一文だった。初期にはこのブログは積極的にリクエストを募集していたのだが、残念ながら使えるアイディアはほとんど寄せら…