人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

通院日記(11月27日火曜・晴れ)

もしも神すらも助けてくれなくても、という仮定には矛盾がある。否応なしに運命を握る存在が神の定義ならば「救い」には「見殺し」だって含まれるのは当然のことだ。と「フランツ・カフカ小品集」(本ブログ9月28日~10月25日)の編者としては火の気もない部屋で凍えながら思う。もう冬が戸口まで来ている。
これは2日続けて通院となると自然と湧きあがる感情で、昨日は内科とメンタル、今日は歯科とかなり性質の違う(だがどれも生涯治療-という言葉があるのだ-では共通する)医療だが、闘病のために生きているのか、生きているから闘病するのか皮肉な思いに駆られる。

昨日訃報が届いたAさんはアルコール依存症から回復するために家族に応援されて入院したのだった。アルコール依存症の治療は困難で、1回の入院で成功する例は1割にも満たない。だが高齢者ほど成功率は高いという。Aさんがぼくに卒論の協力を頼んできたのは、ぼくがベッド脇のテーブルでずっと手記を書いている様子と、他人に親切なのと、元フリーライターという噂を聞いてのことだろう。
それから毎日Aさんから筆談とジェスチャーで履歴を訊き、酒歴(という)とアクシデントを訊き、入院のきっかけと断酒(という)の決心を結びにレポート用紙5枚の卒論ができた。担当看護婦から一発OKをもらってAさんは嬉しそうだった。言語障害になって長い人だから明らかにぼくがゴースト・ライターなのは不問に付された。

退院前の卒論(酒歴)発表もAさんの指名でぼくが代読した。自慢になるがぼくは朗読がうまい。中学校の弁論大会でも毎年学年代表で、国語教師も模範朗読はぼくを指名した。ぼくが読み終えるとクラスの女の子たちはため息をついたものだった。-というわけで発表が終ると女性入院者たちはAさんを取り巻いて眼を潤ませていた。
笑顔でご家族のお迎えで退院していったAさんは、結局断酒に成功しただろうか?言語障害は相当なものだったから脳梗塞の治療は続いたと思われる。だが2年半ほどの余命にあっては、断酒がどれほどのものだろうか?
Aさんと親しく同年輩のYさんは酒で職も家庭も失い、流動食しか食べられない物静かな人だった。「また飲むよ」と呟いて退院していった。入院中に肝臓癌がS4まで進み転院していった人もいた。救いとは何か、治療とは何かと思うのだ。