人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

小説の絶対零度(7)ネルヴァル

これまでに「小説の絶対零度」として取り上げた作家たちの源泉は、すべてジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855、フランス)に行きつく。ボードレールやプルーストもネルヴァルの感化なしにはあれほど革新的な創作は不可能だっただろう。自己の精神疾患と、恋…

#19.承前『ウェル・ユー・ニードント』

あちこちのジャムセッションに毎週のように通ったのはほぼ一年間だが、ぼく以外にモンクの曲を演奏する人がいても『ストレート・ノー・チェイサー』一曲に限られていて、別にモンクである必然性はないように演奏されていた(テーマ部の半音階は難しいが)-モ…

小説の絶対零度(6)ロートレアモン

ロートレアモンは筆名であり本名イジドール・デュカス(1846-1870、フランス)は無名の文学青年として長編散文詩集「マルドロールの歌」1869と「詩学」1870を刊行したが、当時パリは犬猫、鼠まで食肉販売されるほど未曾有の大飢饉に襲われており、無名詩人の自…

#18.承前『ウェル・ユー・ニードント』

ほとんどここに来ているプレイヤーは大学のジャズ研連中という中で、ぼくが猛烈に違和感を感じたのは、楽しく面白い演奏を分かちあおう、といった自由な雰囲気がまるでないことだ。彼らの使うジャーゴン(身内にしか通じない隠語や略語)も文脈から意味はわか…

小説の絶対零度(5)デ・フォレ

ルイ=レネ・デ・フォレ(1918-2000、フランス)は生涯に長編小説「乞食たち」43、「おしゃべり」46と短編集「子供部屋」60のみの寡作家だったが生前のバタイユとブランショが絶賛したほとんど唯一の同時代作家で、晩年は認知度も高まり芸術院会員入りするなど…

#17.承前『ウェル・ユー・ニードント』

ジャズでは多くがホーン奏者がリーダーで、かつジャムセッションでも選曲権を握ることが多いのは、ロックやポップスでヴォーカリストの務める役割を考えるとわかる。ヴォーカリストが歌えない曲はバンドのレパートリーにはならないわけなので、器楽音楽とし…

小説の絶対零度(4)バタイユ

セリーヌ、ブランショときたらやはり「呪われた」作家としてジョルジュ・バタイユ(1897-1962,フランス)を上げないわけにはいくまい。バタイユの本領は「無神学大全」や「エロチシズム」などの思想家としての面にあるが、思想も小説もニーチェとフロイトを経…

#16.承前『ウェル・ユー・ニードント』

うちのバンドで取り上げるレパートリーはマイルス、ロリンズ、コルトレーンが多く、なぜかアート・ペッパーだけは白人ジャズマンでもジャッキー・マクリーンと同格に好まれた。ぼくの演奏スタイルは破れかぶれだったからビ・バップからはみ出ていて、パンキ…

小説の絶対零度(3)ブランショ

ベケット、セリーヌと来たらモーリス・ブランショ(1907-2003、フランス)は外せない。生涯写真一枚公けにせず、現代文学を読み解く上で必須である「エクリチュール」(書法)という概念はこの人の文学論集「文学空間」55で確立されたといえる。セリーヌどころか…

#15.『ウェル・ユー・ニードント』

うちのバンドは四人全員がロック上がりだからか、好みのジャズも一致していたが、大御所に関していえば一致して当然ともいえる。モンク、マイルス、ロリンズ、コルトレーン。だが、好きなのと演るのとでは大違いで、たとえばミンガスなんかアレンジも含めて…

通院日記・9月24日(火)曇り

処方薬は種類自体は少ないが錠数は多いので、朝・晩と就寝前ごとにシートに分けてもらっている。これを分包(分包化)という。薬局ではパウチ用の機械を使ってこれを行うわけだが、患者(薬局だから客か?)が混んでいると当然待ち時間も長くなる。 一人や二人待…

#14.承前『エピストロフィー』

前回で「モンクス・ミュージック」収録の『エピストロフィー』のトチり具合をホーキンス→モンク→ブレイキーとし、コルトレーンは正確な小節数から入っていると指摘したが、これはぼくのバンドのベースのKと真夜中に板橋の凸版印刷所の出張校正室で仕事しな…

小説の絶対零度(2)セリーヌ

ベケットに続いてフランス作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ(1894-1961)をご紹介したい。医師を本業とした彼は、処女作「夜の果ての旅」32でセンセーションを巻き起こし、第2作の「なしくずしの死」36はさらに露悪的な題材で悪評を高めた。第二次世界大戦…

#13.承前『エピストロフィー』

この、「モンクス・ミュージック」版の『エピストロフィー』がボツ録音のリテイクにならなかったのは、リヴァーサイドが定評ある優良レーベルとはいえ会社としては弱小インディーズだったことにも原因があるだろう。実質的にオリン・キープニーズという社長…

ベケット、小説の絶対零度

小説に絶対零度というものがあるなら、サミュエル・ベケット(1906-1989,1969年ノーベル文学賞受賞)をおいて他にないだろう。アイルランド出身でフランス移住者であり、ジョイスの愛弟子であると共にプルースト研究家で、作風はカフカの衣鉢を継ぐ。戯曲の代…

#12.承前『エピストロフィー』

このアルバム「モンクス・ミュージック」(画像2)の狙いは、明らかに「テナーサックスの父」たるコールマン・ホーキンスと、「テナーサックスの新星」たるジョン・コルトレーンの共演にあった。この頃、コルトレーンは、徹底的にコーダル(和声的)な奏法を身に…

通院日記・9月21日(土)晴れ

今日は眼科で月一回の検査を受けてきた。大体いつも毎月20日前後に通院して老眼の進行はないか視力と眼圧の両方を検査し、半年に一度は視野検査があり、場合に応じて瞳孔の撮影検査もある。 今日は疲れ目で、眼がしょぼしょぼして視力検査で裸眼・補正ともあ…

#11.続々続『エピストロフィー』

セロニアス・モンクの「モンクス・ミュージック」はリヴァーサイド・レーベルに前年に移籍してから第5作にあたり、「プレイズ・デューク・エリントン」を皮切りに「ユニーク・セロニアス・モンク」「ブリリアント・コーナーズ」「セロニアス・ヒムセルフ」と…

通院日記・9月20日(金)晴れ

(金)と書いたら最後に精神科入院した時の相部屋で、どうしようもないじいさんがいたのを思い出した。一日中他人の陰口か昔の自慢話を独語している。本業はタクシー運転手のかたわら山口組でシマを任されていたのが自慢だが、生活保護を受けるために離婚して…

#10.続『エピストロフィー』

'Epistrophy'というのは通常の英和辞典には載っていない単語で、ビ・バップの曲にはこの手の衒学的な命名が多いが(チャーリー・パーカーの代表曲には、自分のあだ名-ヤードバードまたはバード-にちなんで'Ornithorogy'「鳥類学」というのがある)、『エピス…

通院日記・9月19日(木)晴れ

ぼくは生活保護受給者で毎月の支給日は五日だから、ちょうど折り返し点に入ったことになる。備蓄食料品は来月の支給日分まで買い込んであるから、あとは生鮮食料品分しか財布に残っていない。貯金はあるがこれは純粋に娘たちへの学資保険なので崩せない。 今…

#9.『エピストロフィー』

手書き譜ではなく千一(いわゆるスタンダード曲集を指すジャズマン用語)で済ませたが、マイルス作曲の『ソー・ホワット』の発想元は、セロニアス・モンクとケニー・クラークが1941年頃共作したという『エピストロフィー』なのではないか、と演奏経験から感じ…

60年代のアメリカ小説(3)

前回までは、アメリカ小説の古典的価値はなかなか評価の定まらない、いわば世界文学のエアポケットであると解説した。ガートルード・スタインの「アメリカ人の成り立ち」は、プルーストやジョイスよりも早く、分量的にも「失われた時を求めて」よりは短いが…

#8.続々続々『ソー・ホワット』

前回は高校までに、音楽の授業で習うことのおさらいだった。だが自分に必要ないことは習っても忘れてしまうもので、ぼくなど全国白地図を出されて、都道府県と県庁所在地を記入せよと言われても手も足も出ない。長野県がなぜあんなに長細いのか理解に苦しむ…

通院日記・9月17日(火)晴れ

今日のメンタル診察はしくじった。簡単に「落ちついていて、心身ともに調子は良好です」で済ませておけばよかった。だがぼくは入獄・裁判の話を持ち出してしまった。 「たとえば実家に立ち寄った際に、警察署からあらかじめ言われた通りに父と継母がぼくを密…

#7.続々続『ソー・ホワット』

『ソー・ホワット』がくどいが、マイルスだって公式ヴァージョンだけでもさんざん再演しているのだ。同じ演奏は一つとしてない。ジャズがポピュラー音楽で特異なのは、再現性を求めないことでもある。うちのバンドだって同じ曲でも演奏するたびに違っていた…

2007年9月13日(釈放)

入獄体験のある人はそう多くはないだろうし、誰もが一律の経験をするわけではない。ぼくも自分の場合はこうだった、としか言えない。たとえば拘置所では、皆がやたらに食事が速かった。噛まずに呑み込んでいるんじゃないか、というくらい速い。この手の話な…

#6.続々『ソー・ホワット』

ドラムスの守屋くんが加わる前の段階で、ぼくとベースのK、ギターの花ちゃんが選んだ曲は『酒とバラの日々』『ブルー・ボッサ』そして『ジャンゴ』だった-確か『ブルー・ボッサ』は花ちゃん、『ジャンゴ』はKの選曲で、『酒バラ』はなんとなく決まったよ…

2007年9月6日/13日(裁判)

今回もリコメント型式で始めたい。ぼくが獄中でなにを考えたか、裁判がぼくにとってどんな意味を持ったかを思い出してみたいと思う。 * 法治国家では捏造や冤罪は珍しいことではありませんし、ぼくを知る人で、ぼくが告訴されたような行為を行ったと信じる人…

#5.続『ソー・ホワット』

ぼくは高校までの音楽教育は通常の学校以外は幼稚園児の頃にヤマハ音楽教室、高校時代半年ほどクラシック・ギター教室に通った程度で、理論はすべて高校の副読本の楽典で学習した。音階、和声進行や対位法、リズムと拍節などは基本的なことは普通科の高校の…