2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧
ぼくの場合、睡眠薬の効果による眠りは突然遮断されたように目覚める。部屋にはアナログ表示の時計しかないから、この季節は6時半といっても窓外の明るさらは朝なのか夕なのかわからない。唯一携帯電話だけがデジタル表示だが、それだけでは確証を持てない。…
Larry Young(1940-1978,organ)。 ブルーノート社はソウル系オルガン・ジャズには力を入れていたが、ヤングの処遇はもて余していたように見える。ヤングは一般的に求められているオルガン・ジャズではなく、サイドマン起用ならもっと正統的なオルガン奏者が同…
なかなか明けない梅雨も原因か、ゴールデンウィークの頃から、ずっと身心の調子が秀れない。処方を切り替えてもらい全体的には改善傾向にあるが、その代り日中の眠気と倦怠感がつらい。メンタル受診は2週連続して遅刻、ブログも2日連続定刻アップできなかっ…
Larry Young(1940-1978,organ)。 コンビを組んでいた五歳上のグラント・グリーン(ギター)がブルーノート社との契約を失ったのはグリーンの私生活上の問題があったらしいが、引き続きエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)と組んだブルーノートでの第2リーダー作…
月曜の受診で主治医から熱心に障害等級再審査を勧められた。更新結果に対する異議申し立ては大概「厳重な審査結果によるものであり、異議申し立ては理由がないものとする」と再審査もされずに返ってくる。再審査申請ならまだ可能性がある。 ただし再審査申請…
Larry Young(1940-1978,organ)。 グリーン、エルヴィン、ヤングのトリオは相性がいいとブルーノート社も考えたらしく、グラント・グリーンのリーダー作としてこのトリオ+ゲスト、というカルテットでさらに2作を制作する。それが、 Grant Green:Street Of Dr…
次女が入院したのは日曜日で、退院はちょうど満一週間目の土曜日だった。その日は、保育園の運動会と重なった。長女と妻は運動会に行き、ぼくは病院に次女を迎えに行った。 次女の入院していた総合病院は交通の便は悪くなかったが、バスや電車の組み合わせが…
Larry Young(1940-1978,organ)。 契約アーティストの骨までしゃぶるプレスティッジ社だがそれは50年代までで、60年代のジャズ不況でヤングは第3作までに1年半のブランクが空いた。 Groove Street(画像1)62.2.27 -は、トリオにビル・レズリーのテナーサック…
前回は重厚な長編小説ベスト10で占めたが、今回は短いが心に残る中編小説ベスト10。日本代表なら文句なしに樋口一葉「たけくらべ」1895だろう。あれこそ文学上の奇蹟、国宝級の逸品と言ってよい。子供の世界を子供の目線から描いた作品としても世界でも類を…
Larry Young(1940-1978,organ)。 ジミー・スミスの君臨するジャズ・オルガンの分野で唯一人、スミスの影響圏から脱出して、新しいオルガン・ジャズを作り出したのがヤングだった。もっともスミス全盛のジャズ界はオルガンに第二・第三のスミスを要求したので…
「屠所の羊」というのは由緒正しい日本語の慣用表現なのだが、文芸書の老舗・I書店が新書判のヴェトナム戦争を扱ったルポルタージュで「まるで屠殺場のようだった」と戦場を表現したのが予想外の大問題になり、本は回収と改訂、マスコミでは「屠所・屠殺場…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。 ヒルはブルーノート時代の斬新な作品群によって、50年後の今も珍重されているが、ポピュラりティはまるでなく昔も今も少数の聴き手しか持たないアーティスト、という評価に落ちついた。ニコルスやホープと較べれば早くから正…
ぼくでも土日は、少しは贅沢な食事がしたい。チキン・ソテーを焼き、目玉焼きも添えた-焼きすぎだが、ぼくは生玉子はもちろん半熟や温泉玉子も食べられない。娘たちの育児で好き嫌いはほとんど克服したが(梅干しとか)半熟玉子だけは駄目だった。 さて、先日…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。 前回掲載の「グラス・ルーツ」は良くも悪くも当時の時流と違和感がなく、あれだけ偏屈な曲を書いていたヒルが普通のエイト・ビート・ジャズを書いている。名手リー・モーガンとブッカー・アーヴィンがフロントのクインテット…
詩集「死後の世界」1979は結果的に黒田三郎(1919-1980)の遺作詩集になった作品集だが、黒田自身には晩年の予感はなく、年齢的にもまだ初老にすら達していない。ムードとしてはまだ中年期の後期にある読後感がある。もっとも寛いで読め、充実した内容が伝わっ…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。 ハッチャーソン(ヴィブラフォン)の第1リーダー作「ダイアローグ」についてはエリック・ドルフィーの'Out To Lunch'63.2に触れないわけにはいかない。ドルフィーは同年6月に急逝するが、このアルバムはブルーノート新主流派の…
牛丼とラーメンの画像を携帯のメモリから探しだして気がついたのだが、どちらも一昨年の秋に店内撮影したもので、それが外で食事をした最後だった。ぼくは生活保護受給で病気療養生活を送っているが、一昨年の初夏までは障害等級に応じた障害者加算を受けて…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。前作「離心点」は特別なアルバムだった。ドラムスがトニー・ウィリアムズの上に2月に唯一のブルーノート作品'Out To Lunch'を録音したばかりの天才エリック・ドルフィー(6月に急逝する)、ケニー・ドーハム&ジョー・ヘンダー…
ぼくがこのシリーズで書いているのは六年前までのことだ。小学三年生だった長女も中学三年生になった。保育園年長組だった次女も小学六年生で、どんな少女(別れた時はまだ児童で、幼児だった)に育ったか想像もつかない。別れた時の姿だって正確な記憶ではな…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。 ヒルが63年11月~64年6月の間に連続録音したリーダー作5枚はすべて自作オリジナル集で、楽器編成もすべて異なる。前回掲載の第1作'Black Fire'は新聞の新作レコード欄で五つ星の高い評価を得た。新人の第1作としては異例だが…
毎月の眼科検診は20日前後に通っているが、木曜は定休日なので今日(19日)行ってきた。今日は視野欠損の検査はなし。視力、眼圧ともに正常。 毎回のことだが、真横45度の角度から一滴もこぼさず点眼する先生の手際には年期を感じて驚嘆する。物腰も丁寧かつ穏…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。 ヒルは63年秋には活動拠点をニューヨークに移し、ブルーノート社専属アーティストになる。従来37年生れというのはだいぶサバをよんでいたので、10歳年下のハンコックよりも2年遅れた、32歳の遅咲きのニューヨーク・デビュー…
今日(18日)は歯科でメンテナンスとクリーニングを受けてきた。その前に、昨日の日記で書いたことだが、ブログ・タイトルの変遷を憶えてくださっているかたがいた。 『人生は野菜スープ』は70年代のイギリスのロックバンド「10cc」のヒット曲のタイトルで、ぼ…
Andrew Hill(1931-2007,piano)。 アンドリュー・ヒルをご紹介するのは初めてなので、追補10ではなく(49のレッド・ガーランドに続き)50人目のジャズマンとすべきかもしれない。だがヒルは巨匠というには知名度も人気もごく限られた人で、この連載ではデビュー…
月曜は恒例のメンタル・クリニック通院日記だが、昨晩はいつも通り深夜00時00分に作文を送信して、確認のためにブログを開いてみて驚いた。まだ五分も経っていないに八人も訪問者がいたのだ。誤字脱字がないか確かめ、トップページに戻って終らせたら訪問者…
Herbie Hancock(1941-,piano)。 ハンコックはマイルス・クインテットから独立したが以降もマイルスはアルバム制作には適宜ハンコックを起用する。 In A Silent Way(画像1)69.2.17 -は「イン・ザ・スカイ」「キリマンジャロ」の実験が実を結んだ画期的なアル…
妻がばしばし叩いてくるのでぼくは彼女の額をぴしゃり、と一度だけ叩いた。ぼくが彼女に手をあげたのは(叩いたというほどの力もなく、制止した程度だったが)これが最初で最後だった。妻は突然無言になり、出て行った-娘たちも騒ぎで起き出してきた。 ぼくは…
Herbie Hancock(1941-,piano)。 「ネフェルティティ」に続くマイルス・クインテットの次回作、 Miles Davis:Miles In The Sky(画像1)68.1.16&5.15-17 -はマイルス初のジャズ・ロック作品になった。この頃からマイルスはロックとソウルに本格的関心を高めた…
ぼくの住んでいる駅前マンションは四棟ほどある四階建ての私鉄路線社員寮と隣り合わせで、ぼくが子どもの頃にはもうあったから築40年以上になるはずだ。引っ越しの頻度は高く、中庭で若いお母さんが子どもを遊ばせている様子でも就学前の幼児ばかりなので、…
Herbie Hancock(1941-,piano)。 前回触れた通りこの連載で扱う時期のハンコックはブルーノート社リーダー作7枚、サイドマン参加作35枚にマイルス・クインテット15枚で、リーダー作はすべて、マイルス作品もほぼ全作となるとブルーノート社でのサイドマン参加…