人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(32a)ホレス・シルヴァー(p)

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Horace Silver(1928-,piano)。予定の25人(39本)を過ぎて31人(58本)まで引っ張ってしまったが、本来ならウィントン・マルサリス歴史的評価未定で選外と見なし、追加した人選を含めて30人なら過不足なかっただろう。J.J.やデクスター、ペッパーが入っているのだ。マクリーン、チェット、ドーハム、コニッツ、モーガン、ショーターらは元々入っていてもおかしくない人たちだろう。
しかも追加した分だけ元の25人よりも丁寧になってしまった。ひとりあたりほぼ3回ずつ、ショーターに至っては5回と、コルトレーン並み。「基本的には作風に変化なし」としてロリンズもゲッツも1回で済ませておいてこれはない気がするが(コルトレーンはともかく)、ショーターの楽歴を追うと段階ごとに捕らえないわけにはいかない。

そこで、やっぱり落とせないな、という大物がまだいる。ホレス・シルヴァーから始めたい。
意外な取り合わせだが、コネチカットのローカル・ジャズマンだったシルヴァーを見出だし自分のバンドに雇い、プロ・デビューさせたのはスタン・ゲッツだった。初録音は1950年12月で「ルースト・セッションVol.1」収録だが、翌年3月・8月録音の「Vol.2」(画像1)はさらに良い。後にアート・ブレイキーの「バードランドの夜」54.2(画像2)でも取り上げられるシルヴァーのオリジナル「スプリット・キック」はゲッツが初演。ちなみにこの曲はスタンダード「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」の改作。
ゲッツからブレイキーまではフリーランスの期間で、この間にNYのジャズ界に溶け込み、ブルー・ノートの企画でエルモ・ホープ(ピアノ)とアート・テイラー(ドラムス)をブレイキーとシルヴァーに交代させたのがこの歴史的ライヴ盤。ロックでいえば「5ライヴ・ヤードバーズ」1965に匹敵、というかそのお手本。 シルヴァーのフリーランス期間はまだ続くが、54年はブレイキー、アート・ファーマー(トランペット)に多く起用され、マイルス・クインテットにはレギュラーで「バグス・グルーヴ」54.6(画像3)B面(元々は10インチLP)を録音。ロリンズ(テナー)、パーシー・ヒース(ベース)、ケニー・クラーク(ドラムス)でロリンズのオリジナル3曲。この時代にはこういうのが普通にあるのだ。