人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

60年代ロック相関図(13)ザ・バーズ3

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要するにザ・バーズは、すでにプロ・ミュージシャンとしてソロ活動していたメンバーの集合体だった。始めから狙いははっきりしており、ビートルズのインテリジェンスを高めたルックス(画像1)と、アメリカ版ビートルズたる存在感、楽曲と音楽性はボブ・ディランビートルズの折衷に、ビーチ・ボーイズ的な、抜けのいいハーモニー。そしてマッギンによって、バーズ・サウンドのトレード・マークとなった、エレクトリック12弦ギターがあった。
ビートルズアメリカ公演中にバーズとエールを交わし、ジョージ・ハリソンはバーズに触発されて、ギター・リフの効いた佳曲『恋をするなら』(「ラバー・ソウル」収録)を書いている。

デビュー曲にしてNo.1ヒットになったボブ・ディラン作の『Mr.タンブリン・マン』はディラン自身のアルバム・ヴァージョンよりも先にシングル発売され、これまでのディラン像をも一変させるものとなった。実際はディランはブルースを根底にした粗野で伝統的なロックを好み、バーズはブルース的要素を排除した洗練されたフォーク・ロックの創始者だった。
ディランは2004年刊行の自伝(画像2)で初めてフォーク・ロックへの嫌悪を公けにしている。共にコロンビアのアーティストであり、バーズは12枚のアルバムで20曲以上のディラン曲をカヴァーしている。音楽的にはそりが合わなかったが、楽曲面では持ちつ持たれつだった。アルバムを聴いていけば、バンドの本音はオリジナル曲にあるとわかる。

だがバーズのメンバー・チェンジは不思議で、最初の2枚のアルバムで作詞作曲を主導したヴォーカルのジーンが真っ先に脱退、残った4人で「5D(霧の五次元)」を作るも新たにリーダーシップを握ったクロスビーが次作の制作中にクビになる。さすがに3人しか残っていないのではバンドの体裁を保てないのでグラム・パーソンズという富豪の一人息子を入れるが、新入りなのに即座にリーダーになって「これからはカントリーだ」とカントリー・ロックのアルバムを作り、それ一枚で辞めてしまう。ベースのヒルマンもドラムスのマイクも辞めてオリジナル・メンバーはマッギンだけになり、スタジオとライヴの大作「ザ・バーズ(名前のないアルバム)」(画像3)から最終作までの三枚がようやく固定メンバーのバンドになる。-65年~71年まで去来したメンバーは10人。それがバーズだ。