人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(50b)ルー・ドナルドソン(as)

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Lou Donaldson(1926-,alto sax)。
次のドナルドソン参加作は元々の10インチ・アルバムでは共同リーダー名義だったもので、
Clifford Brown:Memorial Album(画像1)53.5.20
-の半数がそれに相当する(もう半数はドナルドソン不参加の10インチLPより。こちらも必聴)。ブラウンは55年に25歳で自動車事故で死去、もし存命だったらジャズ史上で最高のトランペット奏者になっていただろう、という人。&ドナルドソン、ピアノはエルモ・ホープ、ベースはパーシー・ヒース、ドラムスはフィリー・ジョー・ジョーンズというクインテット。この中で一人だけ出世しなかった人は誰でしょう?というのはエルモ・ホープ編で嘆いた繰り返しになる。このセッションでもホープの作曲と演奏は輝いているのだが、当時は才能の過当競争だったのだ。

そしてビ・バップ時代の総決算であり、後のジャズ・メッセンジャーズに繋がっていく、
Art Blakey:A Night At Birdland(「バードランドの夜」画像2)54.2.21
-がライヴ録音される。これはロックではヤードバーズの「ファイヴ・ライヴ」に匹敵するものといってよい。ヤードバーズ盤はビート・グループが現代ロックに変貌する里程標だったのと同様に、「バードランドの夜」はビ・バップがハード・バップへと転換する歴史的瞬間を捉えていた。
このアルバムはブルーノート社の企画だった、とルーさん自身の証言がある。元々クリフォードと自分がやっていたバンドに会社からブレイキーとシルヴァー参加を提案され、アルバムが出たらブレイキー名義にされていた。それが事実だろうことは先立つドナルドソンとブラウンのアルバム、また二人はジャズ・メッセンジャーズ創設には参加しなかったことでも判る。

そしてルーさんは初の録りおろしアルバム、
Wailing With Lou(画像3)55.1.27
-で待望の本格的デビューを飾る。相方のトランペットが可もなく不可もないドナルド・バードなのはともかく、50年代のルーさんの真のパートナーで80年代でもライヴの常連メンバー、盲目のピアニスト、ハーマン・フォスターが初参加している。