人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(32b)ホレス・シルヴァー(p)

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前回で書いた通りシルヴァーとアート・ブレイキーとの共演はブレイキーを高く買っていたブルー・ノート・レーベルの企画で、ライヴ盤「バードランドの夜」54.2の残りメンバーは元々クリフォード・ブラウン(トランペット)&ルー・ドナルドソン(アルト・サックス)クインテットだった、とルーさんは言っている。ただしこの人はビッグマウス気味で、「パーカーがNYにカンサスから出てくる前から俺達はビ・バップを演っていた」とも言っている。シルヴァー&ブレイキーの代わりに弾き出されたアート・テイラーはドラマーとして大成したが、エルモ・ホープは散々だった。ホープだって立派な力量はあった。ただ、相対的に当時は才能の塊がごろごろいたので埋もれてしまったのだ。

マイルスは55年に新たなクインテットを組むが、シルヴァーはやはりブレイキーとの活動を選ぶ。マイルス側も新しいマネージメントの思惑があり、シルヴァー&ブレイキーはブルー・ノートの契約下で良好な環境にあった、ということだろう。そこで、この二人の共演がいつからソロ・アーティスト同士の関係からジャズ・メッセンジャーズというレギュラー・バンドに移行したか、その線引きが注目される。
(「バードランドの夜」はあくまでブレイキーのリーダー作だった)。

実は「バードランドの夜」に先立ちこの二人には「ホレス・シルヴァー・トリオ」52,53というアルバムがある。ジャケットは色違いで「ホレス・シルヴァージャズ・メッセンジャーズ」54,55(画像1)と同じ。問題は後者で、当時主流の10インチLPの収録時間は12インチLPの片面分。本来「ホレス・シルヴァークインテット」名義で発売された2枚をカップリングした時にこのタイトルになったが、メンバーは正式なメッセンジャーズ名義第1作「アット・ザ・カフェ・ボヘミア」55.11(画像2)と同一だからややこしい。しかも「ボヘミア」では音楽的主導権はシルヴァーからケニー・ドーハム(トランペット)に移っているのだ。
ではドーハム主導になるかというと、これだけ残してドーハムは脱退。バンドは新人ドナルド・バードを迎え「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」56(画像3)を録音。テナーのハンク・モブレーとシルヴァーのオリジナルがバランス良く収まり秀作となる。これを最後にシルヴァーは独立する。