マイルスは55年に新たなクインテットを組むが、シルヴァーはやはりブレイキーとの活動を選ぶ。マイルス側も新しいマネージメントの思惑があり、シルヴァー&ブレイキーはブルー・ノートの契約下で良好な環境にあった、ということだろう。そこで、この二人の共演がいつからソロ・アーティスト同士の関係からジャズ・メッセンジャーズというレギュラー・バンドに移行したか、その線引きが注目される。
(「バードランドの夜」はあくまでブレイキーのリーダー作だった)。
実は「バードランドの夜」に先立ちこの二人には「ホレス・シルヴァー・トリオ」52,53というアルバムがある。ジャケットは色違いで「ホレス・シルヴァー&ジャズ・メッセンジャーズ」54,55(画像1)と同じ。問題は後者で、当時主流の10インチLPの収録時間は12インチLPの片面分。本来「ホレス・シルヴァー・クインテット」名義で発売された2枚をカップリングした時にこのタイトルになったが、メンバーは正式なメッセンジャーズ名義第1作「アット・ザ・カフェ・ボヘミア」55.11(画像2)と同一だからややこしい。しかも「ボヘミア」では音楽的主導権はシルヴァーからケニー・ドーハム(トランペット)に移っているのだ。
ではドーハム主導になるかというと、これだけ残してドーハムは脱退。バンドは新人ドナルド・バードを迎え「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」56(画像3)を録音。テナーのハンク・モブレーとシルヴァーのオリジナルがバランス良く収まり秀作となる。これを最後にシルヴァーは独立する。