人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(34b)ハンク・モブレー(ts)

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モブレーの興味深いセッション盤といえば、不遇ピアニストの代表格エルモ・ホープの「インフォーマル・ジャズ」56.5、テナー奏者連名の「テナー・コンクレイヴ」56.9、ジョニー・グリフィンの「ブローイング・セッション」57.4(画像1)がある。どれもテナー・バトルの面子にジョン・コルトレーンが含まれるので、コルトレーン参加によって評価されている作品群でもある。
鋭く切り込み、どこまでも延びてゆくコルトレーンの画期的な「シーツ・オブ・サウンド」が萌芽を見せた時期になり、賛否両論は避けられなかった。だが批判的な評者ですら認めざるを得ず、マイルスが自分のバンド・メンバーに固執したのはコルトレーンの画期的な新しさだった。
上記3作のセッションで、モブレーはコルトレーンより年齢は4歳下だが出世が早いだけある完成した演奏を聴かせる。言い替えれば時代の枠組みの中にいる。これは黒人テナーのグリフィン、白人テナーのアル&ズートもそうだ。コルトレーンひとりが未来を見据えて模索している。試行錯誤している。その姿勢が60年代以降、コルトレーンとモブレーらを分けることになる。

だがハード・バップの黄金時代が続くかぎりモブレーの地位は安泰だったということで、「ハンク」57.4ではウィントン・ケリー(ピアノ)、5月にはホレス・シルヴァークインテットの「スタイリングス・ホレス・シルヴァー」、6月にはピアノにソニー・クラークを迎えた「ハンク・モブレー」(画像2)があり、これはクラークのブルー・ノート第一作になる翌月の初リーダー作「ダイヤル'S'フォー・ソニー」の下地になったアルバムで、クラークのアレンジがアルバム全体を統一している。

57年後半はソニー・ロリンズの後任でマックス・ローチクインテットへ。ローチ・クインテットにはクリフォード・ブラウンの後任ですでにメッセンジャーズからケニー・ドーハムが移籍してきていた。
58年2月にはウィントン・ケリーをピアノに迎えた「ペッキン・タイム」(画像3)をリー・モーガンをサブ・リーダーに録音。オリジナルもいいが、「ハンク」のボビー・ティモンズのアレンジによる『イージー・トゥ・ラヴ』、「ハンク・モブレー」のソニー・クラークのアレンジによる『バグス・グルーヴ』同様、ケリーのアレンジによる『スピーク・ロウ』が素晴らしい。