鋭く切り込み、どこまでも延びてゆくコルトレーンの画期的な「シーツ・オブ・サウンド」が萌芽を見せた時期になり、賛否両論は避けられなかった。だが批判的な評者ですら認めざるを得ず、マイルスが自分のバンド・メンバーに固執したのはコルトレーンの画期的な新しさだった。
上記3作のセッションで、モブレーはコルトレーンより年齢は4歳下だが出世が早いだけある完成した演奏を聴かせる。言い替えれば時代の枠組みの中にいる。これは黒人テナーのグリフィン、白人テナーのアル&ズートもそうだ。コルトレーンひとりが未来を見据えて模索している。試行錯誤している。その姿勢が60年代以降、コルトレーンとモブレーらを分けることになる。
だがハード・バップの黄金時代が続くかぎりモブレーの地位は安泰だったということで、「ハンク」57.4ではウィントン・ケリー(ピアノ)、5月にはホレス・シルヴァー・クインテットの「スタイリングス・ホレス・シルヴァー」、6月にはピアノにソニー・クラークを迎えた「ハンク・モブレー」(画像2)があり、これはクラークのブルー・ノート第一作になる翌月の初リーダー作「ダイヤル'S'フォー・ソニー」の下地になったアルバムで、クラークのアレンジがアルバム全体を統一している。
57年後半はソニー・ロリンズの後任でマックス・ローチ・クインテットへ。ローチ・クインテットにはクリフォード・ブラウンの後任ですでにメッセンジャーズからケニー・ドーハムが移籍してきていた。
58年2月にはウィントン・ケリーをピアノに迎えた「ペッキン・タイム」(画像3)をリー・モーガンをサブ・リーダーに録音。オリジナルもいいが、「ハンク」のボビー・ティモンズのアレンジによる『イージー・トゥ・ラヴ』、「ハンク・モブレー」のソニー・クラークのアレンジによる『バグス・グルーヴ』同様、ケリーのアレンジによる『スピーク・ロウ』が素晴らしい。