人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

伯母からの年賀状

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伯母からの年賀状で父の死を知った。本来ならぼくは喪中だが知らなかったので年賀状を出したのだ。去年の伯母からの賀状には「お父様のご入院は連絡ありませんでしたか」だった。そこでぼくは今年の賀状に「ぼくは療養に専念しています。実家とも弟ともまったく連絡がありません。年賀状の返信すらありません」と書いたら、伯母から、
「貴方のお父様昨年ご他界されました。連絡まだですか」
と返信が来たのだ。
まだでーす。父は60歳を過ぎて急に腎臓系の病気で毎年入院し、なにより決定的な治療法がない全身の進行性麻痺で次第に松葉杖、車椅子、寝たきりへと侵され、最後に実家に顔を出したのは一昨年の夏にマンションの契約更新の保証人を頼みに行った時だが、「和人とは養子縁組もしてないし」と継母にすげなく断られたのだった。父が亡くなれば継母とも腹違いの弟とも、ぼくが実家を出るのと入れ違いに同居している継母の独身の弟とも、姻戚関係すらない。

その時の父の衰弱ぶりを見て、娘たちへの用件ともども(ぼくの病気は遺伝的資質もあるので、困ったらぼくの主治医に相談すること)父が永くないかもしれない、と別れた妻に電話した。葬儀は遠慮したいという。知らせは?知らせは欲しい。ではぼくの時はどうする?
「そんなの判らないわ」
と妻は言って、短い会話は終った。

父の住む実家はぼくの住まいとは徒歩10分、四歳下の弟は車で10分ほどの隣町で、その町にある全国でも有数の単立プロテスタント教会の創立メンバーがぼくの父母だった。50年前最初に洗礼を受け、挙式し、今では四千人の信徒数を誇る教会がまだ20人に満たない頃最初に生まれた赤ん坊がぼくだった。
伯母と名前が似たのは偶然で、ぼくは当時の女性牧師さんにマタイによる福音書五章九節「山上の教訓」から採って、
「平和をつくり出す人たちは、幸いである。
彼らは神の子と呼ばれるであろう」
和人、と命名されたのだった。神の子!

父は病気になる前は執事で長老職にあり、教会員で父を知らない人はいないからほとんど教会葬だったろう。懐かしい人たちはみんな集まり、弟も親族として参列しただろう。伯母も隣県から参列しただろう。「あら、和ちゃんは?」「病気に障りますから…」伯母の文面からはそんなやり取りが伺える。
それからぼくは父の訃報を伝えに電話をかけた。