60年代後半はアルバム録音はアメリカだがライヴ活動はヨーロッパが主になった。67年までにリーダー作5枚、参加作7枚を数え、68年1月にモータウン曲のカヴァーをタイトル曲にした「リーチ・アウト!」(画像3)が最後の話題作となり、69年7月の「ザ・フリップ」が最後の新作で、フランスのBYGレーベルに録音されたアーチー・シェップの「黒人女ヤスミナ」「マルコムに捧げる詩」(ともに69年8月)にゲスト参加した後ブルー・ノートに「シンキング・オブ・ホーム」70.7を録音するもボツ。そして1954年以来のブルー・ノートとの契約は終了した。病気のため渡欧も70年が最後になる。
70年代半ばからアメリカ本国でも50年代ジャズの再評価が起り、半引退ジャズマンのカムバックも増え、再発売されたアルバムや未発表アルバムも新しいリスナーに迎えられた。80年代にはいよいよ50~60年代ジャズの再評価は高まり、往年のジャズマンを集めたフェスティヴァルが世界各地で行われた。
だがモブレーは72年2月録音のシダー・ウォルトン(ピアノ)との連名作「ブレイクスルー」が早すぎる遺作となる。通算101作。85年、55歳の死去まで復帰を望んでいたが肺病がそれを許さなかった。