人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アベさんとの会話

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(「伯母からの年賀状」「別れた次女との通話」から続く)
-おじいちゃんが亡くなりました、もうお葬式も済ませました。
「うん。ママに伝える」
「お姉ちゃんにもね」
「うん」
「それだけですか!?」と訪問看護のアベさんは言った。「クリスマス・プレゼントのお礼とかもなし?」
「ええ。あけまして…、もなし。無駄口ない子なんですよ」
「でもねえ…悲しいですね。あんなに苦労して」
アベさんはぼくが三か月がかりで生活を切り詰めてクリスマス・プレゼントとお年玉を捻出したのを知っている。本人より見ている人が無念の思いになるのはよくあることだ。
「訊けば素直に答えてくれますよ。グルメ・カードでお食事したかい?とか図書カードやQuoカードでなにか買った?贈ったCDや本で面白そうなのはあった?一問一答式に答えてはくれるでしょう。ですけれど、機械的に答えてくれるばかりなら、訊いても仕方のないことです」

伯母からの年賀状が届き、電話で別れた次女に妻への伝言を頼んで、その日の午後に新年最初のアベさんの訪問看護があって良かった。父の逝去を話す相手といえばメンタル系の医療機関しかない。離婚してこの町に戻ってからは幼なじみの友人からも電話の着信拒否され、弟ともども年賀状の返信すらない。今やぼくの唯一の親族といえば弟になるが、父の訃報も継母に任せてぼくには一切関わりたくないのだろう。

「離婚して六年、最後に会ったのが六歳ですから、祖父の記憶もほとんどないでしょうね」
「いや、案外分かりませんよ」
長女との会話は想像がつく。妻より早く帰宅した姉に、次女は伝言を伝えるだろう。
「そう、おじいちゃん死んじゃったんだ。…アヤちゃんは覚えてる?」
「思い出そうとすれば思い出すよ」
「毎年夏休みと冬休みにおじいちゃんの家に行ってたじゃない?その頃は本当のおばあちゃんだと思っていたおばあちゃんもいて。家の近くの田んぼで遊んだでしょ?」
「…」
「お正月は藁の山を崩したり、凧上げして。夏は蛙がいっぱい鳴いてた。ママはおばあちゃんのお手伝いしてたから、外で遊ぶ時はパパと一緒だった。…覚えてないの?」
「…少しなら覚えてる」
姉はため息をつくだろう、「おじいちゃん死んじゃったのか。さよならも言えなかった」
たぶんぼくの想像通りだ。父親にはそれが判る。