人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(42c)ポール・デスモンド(as)

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Paul Desmond(1924-1977,alto sax)。
デスモントの本格的リーダー作第1作と言える「ファースト・プレイス・アゲイン」59.9がブルーベック・カルテットの「テイク・ファイヴ」59.6-8を受けて制作されたように、デスモントのRCA第3作'Take Ten'63.6(画像1)はブルーベック・カルテットの集大成ライヴ盤'The Dave Brubeck Quartet at Carnegie Hall'63.2を受けて制作されたとおぼしい。アルバム制作・発売→コンサート・ツアーという現在では普通のローテーションを確立したのはモダン・ジャズ・カルテットとデイヴ・ブルーベック・カルテットで、それまではジャズマンは年中各地をクラブ巡業してまわり、アルバム制作とライヴ活動に特別な関連性はなかった。MJQとブルーベック・カルテットは高い人気とセールスの裏打ちがあった。クラブ出演不可、ドレス・コードまで指定するジャズ・バンドなどは史上初だったが、彼らはそれが通用する初のグループだった。

「テイク・テン」はデスモント自身の『テイク・ファイヴ』の改作というべきタイトル曲を始め、'Theme From ''Black Orfeus'''など親しみやすい選曲の好アルバムになる。ブルーベック・カルテットを一時休んで'Grad To Be Unhappy'63.6,64.7-9(画像3)、'Bossa Antigua'64.7-9(次回)、拾遺集'Easy Living'64.6-9,65.6(画像2)を制作して、RCAとのソロ契約/ジム・ホールとのコラボレーション時代は終る。

この時期ジム・ホールは白人ギタリストではもっとも注目された存在で、デスモント・カルテットと掛け持ちでソニー・ロリンズアート・ファーマーのピアノレス・カルテットをこなし、ビル・エヴァンスとはピアノ/ギターの対決セッションに駆り出されている。ピアノ以上に存在感のある、バンドのサウンドを決定的に左右するほどのギターとしてジム・ホールは画期的ギタリストだった。
'Easy Living''Grad To Be Unhappy'については次回で解説すると共に、60年代末期までのデスモントの活動を追う。