(連作「ファミリー・アフェア」その17)
通院を始めてからもぼくはしばらくはまだ幻覚や幻聴に襲われていた。部屋の中に人間のかたちをした空気の塊がいてぼくの様子を見ていた。一緒の布団で娘が寄り添ってきて、重みや体温、息づかい、姿まで見えてくるが「これは幻覚だな」と意識すると徐々に薄れてくる。
「治すんじゃなくて、治るまで待つんだよ」
と主治医のK先生に言われた。「そのうち記憶は風化してくる。治るまでつきあうよ」
ただし初期の所見-ストレス障害による鬱症状よりもぼくの症状は厄介なものだった。ほとんどそれは喜劇に近かった。
そこで躁鬱病だと判明してから-もっとも受診してすぐに躁鬱と診断される場合は滅多にないらしい。躁だと病識がないからその最中は受診しに来ないので、鬱に陥ってから受診するが初診では本人も躁鬱の自覚がないので躁転期間を医師に報告しない。そこで通院開始から初めて躁転の病相を見せてようやく双極性障害と判明する(それまでは鬱病と診断されている場合が多い)。鬱と躁鬱では処方は異なり、気分高揚作用のある処方をまだ躁鬱と判明していない鬱病患者が服用すると極めて危険なことになる。
躁鬱と判明してひどい病状で入院し、入院後半は回復後のリハビリ期間だったからヒマで仕方なかった。夏目漱石全作読破・再読も半日没頭すれば飽きる。閉鎖病棟だから歩行範囲も廊下を巡回するしかない(作業療法では病院近隣の散歩のコースがあったが、週に一回だけだった)。廊下の掲示物などいつの間にか配置まで覚えてしまう。
その中に「訪問看護のご案内」というのがあった。具体的な内容は書いていなかったが、退院したら自分の通院先の医院で相談してみよう、と思った。
「いいんじゃない?うちの主任に探させて、当てがついたら面接しよう」
とK先生は言った。ぼくとしては、病状や生活報告をして変化を観察してもらい、悪化の兆しがあれば早めに気づいて対処できるように、というのが訪問看護を希望する目的だった。
ぼくの希望はぼくより年配の男性看護士だったが(「なんで?女のほうがいいじゃん?」とデイケアで親しかった女好きのOさんは言った。ぼくはシリアスな目的なんです、と言っても仕方ないことだ)たぶん「年配」は無理だろう、と思った。訪問看護のような外回りの職務は若手職員の仕事だろう。