人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補4g)ビル・エヴァンス(p)

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Bill Evans(1929-1980,piano)。
56年のデビューからずいぶん時間がかかったが、皮肉にもラファロの事故死が注目を集めてようやくエヴァンスの人気も高まり、大手ヴァーヴ・レーベルへの移籍が決定する。リヴァーサイド社との契約が満了していないのにさっさと新規契約をしてしまったのは相変わらずの経済的苦境のせいで、リヴァーサイド社との満了前にリーダー作はまずいだろうと、移籍第1作、
Bill Evans/Shelly Mann:Empathy(画像1)62.8.20
-は大物ドラマーとの共作アルバムになった。マンはキャリアも十分、白人ジャズ・ドラマー最高のスターだった人だが、かつてセロニアス・モンクとの共作が制作途中で頓挫したようにイニシアチブをはっきりさせずにセッションを流してしまう面がある。このアルバムでもそうで、臨時メンバーのピアノ・トリオで全6曲は冗長。エヴァンスのリーダー作では初の失敗作になってしまった。企画や共演者のせいとは言えず、リヴァーサイドなら没だったようなものが発売されてしまっただけだろう。

インタープレイ」の好評から企画されたリヴァーサイドからのクインテット作品、
Loose Blues(画像2)62.8.21&22
-はジム・ホールを再びギターに迎え、今度は白人テナーの最高峰ズート・シムズのワンホーンになった。全7曲8テイクすべてエヴァンスの新曲オリジナルで、全曲新曲オリジナルというのもエヴァンスには後にも先にもないから力の入ったアルバムだったのは間違いない。個々のメンバーの演奏も悪くなく、ズートほど美しい音色のテナーはいない。だがクインテットの一体感はなく、全体的に冴えない印象を受ける。ヴァーヴならば出しただろうが、リヴァーサイドは85年まで未発表にまわした。

「イージー・トゥ・ラヴ」の時と同じく浪費癖からくる生活困窮と契約満了のためにまたもやエヴァンス救済のためのソロ・ピアノ・セッションが組まれる。今度はアルバム2枚分で、
Solo Sessions Vol.1,Vol.2(画像3)63.1.30
-に収められた17曲がそれに当たる。これは85年まで未発表だった。生活援助のために発売予定のない録音をさせたリヴァーサイド社の義侠心には泣ける。'My Favorite Things'が珍しい。