人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補7c)エルモ・ホープ(p)

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Elmo Hope(1923-1967,piano)。
後になるほど不遇もつのるホープだが、初期には今ではモダン・ジャズの巨匠と呼ばれるような人たちと軒並み共演している。当時はホープは彼らと対等だったのだが、歴史の判定はきびしく、「この中でひとりだけ出世しなかったのは誰でしょう?」みたいなことになってしまった。
Jackie McLean:Lights Out!(画像1)56.1.27
Informal Jazz(画像2)56.5.7
-など、管楽器勢や辣腕ベーシスト&ドラマーの前に影が薄く、もしやこの人は本当に下手ななのではと思わせる。後者などは自分のリーダー作なのにドナルド・バード(トランペット)、ジョン・コルトレーンハンク・モブレー(テナーサックス)に押し切られている。前者でもジャッキー・マクリーン(アルトサックス)とバードの仕切りに個性を出せないでいる。

これが三大ピアニストならセッションが失敗しても自分の芸風を貫くのだが、そこまでホープは大胆になれないのだ。バドも管との共演がうまくなかったが、別の意味でホープも管との共演がうまくない。

次の録音は57年10月のオムニバス盤への3曲、アルバムでは58年1月のカーティス・カウンス・グループ「ソノリティ」に飛ぶ。ホープはニューヨークの音楽界を追放されてロサンゼルスに移住していた。理由は違法アルバイトで、仕事は少ないがジャズ界に顔が広いホープは誘われて小売り業者をやっていた。みんなホープのお世話になってヤバいバイトは繁盛したがバレて音楽家組合を追放されてしまった。
ハロルド・ランドのアルバム(58年1月)、カーティス・カウンスのアルバム(58年4月)に続いて久しぶりのトリオ作品は、ホープのロサンゼルス時代唯一のリーダー作で、最高傑作にあげる人も多い代表作になった。

Elmo Hope Trio(画像3)59.2.8
-がそれで、後にコルトレーンとも共演するカーティス・カウンス・グループのフランク・バトラーのドラムス、ツワージク在籍時のチェット・ベイカー・カルテットのジミー・ボンドのベースという強力なトリオで全8曲中'Like Someone In Love'以外7曲オリジナルで、起死回生・乾坤一擲の力作。この緊迫感は尋常ではない。