人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

四編のフランス散文詩(抄)

真に、今は真夜中。虚ろな響きが家具に反響するだけで、鏡に消え失せもせず、壁掛けに潜みもしない。それは深夜だけの儚い夢の黄金、豪華だが無用の遺物に見せかけようとしていたのを思い出す-金銀細工の海と星の、複雑で無限の偶然から、数多くの結合が読み取れるのを除けば。
深夜を告げる時計は二度と同じ時を刻まない、これがその創造した唯一の時なのだから。そして星座も海も本質のみを残し、全一に時物の絶対現在のために無となり、無限から分離するのはこの時なのだ。
(ステファヌ・マラルメ「イジチュール、またはエルベノンの狂気」1867年)
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おれの思い出が本当なら、おれの昔の生活は饗宴だった。どんな人の心も開き、あらゆる酒が流れた。
ある夜、おれは美女を膝に抱いた-嫌悪感のあまり、おれは悪態をついた。
おれは正義に対して武装した。-人間的な希望など、おれはおのれの精神から一掃した。歓びを抹殺するために、おれはあらゆる歓びを野獣のように音もなく踏みにじった。
(アルチュール・ランボー「地獄の季節」1873年)
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……確かにぼくは感じた、きみが周囲の空間を打ち壊して空虚を作り出し、ぼくの前進を可能にしようとするのを。ぼくの中にある、まだ可能性にすぎない潜在的な芽生えのすべてに、不可能な空間を与えようとする、その不条理を。空間がそれを吸い出すのを。
(アントナン・アルトー「神経の秤」1925年)
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西暦四千年にはきっと、ある青年が傲慢な確信から自己について書くだろう-
「僕は24歳だった。僕は地球にはとうに愛想をつかしていた。毎週のように全世界を旅していた」
「僕は月にも行った。活動的な友人と木星にも行った-ただそれだけのことだ。僕は…に出会った時は不愉快きわまりなかった…」
こんな風に書きながら、彼は一人の少女に出会ったことを奇蹟のように長々と描写しつつ、その少女はごくありふれた面白くもない少女で、ハンニバル王朝ならカルタゴで、皿洗いをしていたような娘だと書くだろう。
そして、いっそう恐ろしい時代に生きる未来のわれわれは、二千年以上も前から読者が暗誦しているようなこの話にうんざりすることだろう。
この種の野郎どもには、今から死刑を宣告する法廷が必要だ。だがそれをどのようにしてつくるか?どのように……
(アンリ・ミショー「通路(パサージュ)」1942年)