人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#12.承前『エピストロフィー』

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このアルバム「モンクス・ミュージック」(画像2)の狙いは、明らかに「テナーサックスの父」たるコールマン・ホーキンスと、「テナーサックスの新星」たるジョン・コルトレーンの共演にあった。この頃、コルトレーンは、徹底的にコーダル(和声的)な奏法を身につけ、やがて自身のアルバム「ジャイアント・ステップス」59で極めることになる、ビ・バップ以来の代理コードや頻繁な転調に、完璧なスケール・チェンジで対応する実力を着実に磨きつつあった。

ホーキンスはほぼ15年前にビ・バップに挑戦し、セロニアス・モンクをバンドのピアニストにしていたが、モンクのアルバムに参加するとなるとどんなプレイをしたら良いのか迷い、モンクのバンドの現職テナーのコルトレーンに意見を求めた。尊敬する大先輩に意見など言えない。そこで二人は直接モンクに尋ねることにした。モンクは、
「ホーク、あんたは巨匠だろ?」
「まあそうだが…」
「トレーン、あんたも巨匠だろ?」
「いやそれほどでも…」
「だったら自分らで考えてくれ」

このアルバムに収められた他の曲では何とかなっている。トランペットのコープランドとアルトサックスのグライスは手堅いアンサンブル要員なのもわかる。テナーのワンホーンでバラードの『ルビー・マイ・ディア』がホーキンスとコルトレーンの両者で録音され、甲乙つけがたいがアルバムにはホーキンス版が収められた(コルトレーン版も、別のアルバムで陽の目を見た)。新旧ジャズ・テナーの根本的な発想の違いはこのバラードを聴き較べれば明瞭で、「セロニアス・モンク・ウィズ・ジョン・コルトレーン」収録のコルトレーンのクールな幾何学的アドリブから立ちのぼる抒情を聴くと、ホーキンスの演奏はウォームだが旧く、野暮ったく聴こえる。

そして問題の『エピストロフィー』では、ヴァーティカル(垂直的)な解釈によるコード・チェンジとホリゾンタル(水平的)なメロディのヴァリエーションのどちらにも徹底できず、ホーキンスはソロの小節数を間違えて早く終らせてしまう。コルトレーンは本来の小節数まで待っているのだが、モンク本人も勘違いして、「コルトレーン!」と呼びかけ、ブレイキーもつられてドラム・ロールを入れてしまう。コルトレーンは冷静に正しい小節数から入って、見事に混乱を収拾させる。よくレコードにしたものだ。