人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

溝口健二『祇園囃子』(大映1953)

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祇園囃子』全編
https://www.youtube.com/watch?v=lajNvN8JlhA&feature=youtube_gdata_player
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 客に操は売らないが祇園の人気芸妓の美代春(木暮実千代)の屋形(待機所兼住居)に、上七軒の芸妓だった母を亡くしたばかりの少女・栄子(若尾文子)が舞妓志願に訪れる。栄子の父・沢本(進藤英太郎)は美代春の昔の馴染み客で栄子の母の旦那だったが、商売が零落し、体調もすぐれず細々とした日々を過ごしている。祇園を仕切るお茶屋「よし君」の女将お君(浪花千栄子)が使いに出した男衆にも、栄子の保証人にはならないと言う。しかし、栄子の熱意に負けた美代春は彼女を引き取り仕込む決心をする。
 一年間の舞妓修行を経た栄子は美代栄として見世出しし、お茶屋の座敷で車両会社の専務・楠田(河津清三郎)に見初められる。美代春も楠田の取引先である役所の課長・神崎(小柴幹治)に好意を抱かれる。
 遊興を口実に美代春と美代栄を連れて上京した楠田は、美代春たちには内緒で神崎も呼び寄せていた。宿泊先の旅館で受注契約のため神崎の相手をするように頼まれた美代春は困惑しながらも神崎と対面する。いっぽう、美代栄は強引に迫る楠田を拒んで楠田の舌を噛み切ってしまう。神崎の相手をすれば不問に付すという申し出を美代春は断り、美代春と美代栄はお君によりお茶屋の座敷を干され、屋形で侘びしい日々を送ることになる。
 しばらくして、お君から美代栄が来ている、との連絡が届く。今度こそ神崎の座敷に出れば、美代栄の事件は許すという。戸惑いながらも行く決心をする美代春。一夜明けて屋形に戻った美代春をなじる美代栄。世代も考え方も違う二人の心がぶつかり合ったのち、二人はいっそう堅い絆で結ばれていく。
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 「あんたはきれいな体でええ。今日から私があんたの旦那や」というのが映画の締めくくりの台詞ですが、映画の冒頭は旦那にさせろ、と強要してくる馴染み客をすげなくあしらう木暮実千代の啖呵から始まります。彼女は美貌と愛嬌で身寄りもいない芸妓生活をしてきた年増芸者で、祇園全体を仕切る大ボスのお君にも「あんたの歳で旦那もとらんと」となじられても笑ってかわしている。体を売らなくても客がつく点で、彼女は祇園の中でも珍しい芸妓として営業してきた、いわば例外的な存在なのが冒頭から示されます。
 可憐な若尾文子が美代春を頼ってきて、美代春は親類縁者もなく少女のうちから芸妓の道に入った自分を重ねあわせます。
 溝口健二は『雨月物語』上映の反響に満足してすぐに『山椒太夫』の準備にかかり、『祇園囃子』は手馴れた題材から軽く作った小品であることが依田義賢氏の『溝口健二の人と芸術』にもありますが、軽い中にもさすがの貫禄を認めており、英題でも"A Geisha"とそのものずばり改題されている通り、祇園という特殊な遊廓地区を描いて、おのずから社会的ドキュメンタリーにもなっている作品です。それを見事に描いているのが祇園全体をマネジメントする女ボスであるお茶屋「よし君」の女将・お君のキャラクターでしょう。溝口は実際にモデルとなる祇園の女将とは知己で、お君を演じる浪花千栄子に会いに行かせました。浪花千栄子はたちまち祇園の女将のキャラクターをつかみ、衣装や小道具、所作まで指定された以上にお君ならではの工夫をしてきた。どんな俳優にもケチをつけることから入る溝口も、浪花には舌を巻いたそうです。
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 お君はこの映画では悪役と言うべき役回りですが、単純な悪ではない。彼女の行動原理はビジネスとして筋を通すことで、金銭に見合ったビジネスを祇園のルールにのっとって管理することです。彼女は祇園の秩序を管理するのが役目であり、ビジネスを遂行しない芸妓は反省し更正するまでお座敷を干す。
 美代春は保護者的感情から美代栄に母とも姉とも言えるような愛情を注ぎ、美代栄にも旦那をとるような境遇にはなってほしくないと思う。美代栄も芸妓として体までは売りたくないと思っている。しかし祇園の芸妓は客が十分な金額を提示してマネジメントの女将と話をつければ、事実上は断れないというのがビジネスです。ヒロインの美代春は美代栄を守るために客をとり、翌日にはお君が手を回して、美代春と美代栄の尾形には再び売れっ子芸妓ならではの過密スケジュールが舞い込んでくる。祇園のルールに従わなければ干すが、ルールを順守すれば能力に応じてきちんとお座敷がかかるようにする。お君は優秀で情理備えたマネジメント運営者なのです。
 ひとまず美代春と美代栄は危機を脱しましたし、年増芸者の美代春は必ずしも旦那はとらず、芸者として無理がきたら祇園界隈の家政婦になる将来もあるでしょう。ですがまだ17歳の美代栄(そういやこの映画は17歳の女の子が飲酒するシーン、強姦未遂されるシーンもあるわけです)は祇園で生きる限り今回のようなことが何度でも起こりうる。美代春が替わりに助けに出て解決する問題ばかりではないでしょう。軽い小品のようにさらっと観られるのにどっしりとした手応えが残るのは、木暮実千代若尾文子の美しさがそんな際どい舞台の中に描かれている儚さからでもあります。
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 『雪夫人絵図』『お遊さま』『武蔵野夫人』『西鶴一代女』『雨月物語』『祇園囃子』とご紹介してきた溝口健二監督作品も、ここでひとまず区切りをつけたいと思います。『祇園囃子』の次の『山椒太夫』、遺作となった『赤線地帯』は以前にご紹介したこともあります。次は長編映画以降のチャップリン全作品か、エイゼンシュテインの全作品か、アメリカの40年代~50年代の犯罪映画か、小津安二郎、または吉田喜重監督作品を取り上げてみたいと思います。