人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

オザンナ『人生の風景』1974

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https://www.youtube.com/watch?v=m_sXB3-ipjQ&feature=youtube_gdata_player
Osanna-"Landscape of Life"(Full Album)Italy,1974
1.Il Castello Dell’Es 城
2.Landscape Of Life 人生の風景
3.Two Boys 二人の少年
4.Fog In My Mind 心の中の霧
5.Promised Land 約束の地
6.Fiume 川~7.Somehow,Somewhere,Sometime いつか、どこかで
Lino Vairetti-vo,key
Elio D'Anna-fl,sax
Danilo Rustici-g,key,vo
Lenno Brandi-b
Massimo Guarino-ds
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 オザンナはイタリアでもナポリの大物バンドとして有名で、イタリア語歌詞はナポリ方言を使っており、ナポリ方言とはイタリア語ではあるが標準イタリア語とはまったく違う言語らしい。71年のファースト・アルバム"L'Uomo"ではナポリ語と英語詞が半々、72年のセカンド・アルバム"Mirano Calibro 9"は映画サントラのためED曲のみヴォーカル入りで、T.S.エリオットの長編詩『聖灰水曜日』を英語詩のままアダプトしたもの、73年のサード・アルバム"Palepoli"でついに全編をナポリ語による作品をものした。
 イタリアのバンドはジェスロ・タル、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター、ジェネシスキング・クリムゾンに影響を受けてサックスかフルート奏者を加えた編成が多く、オザンナのエリオ・ダンナもテクニック、センスともに素晴らしい、ハードなサックス兼フルート奏者だった。オザンナ解散後はイタリア・アメリカ人混成グループのノヴァを結成し国際的に成功したフュージョン・グループになる。
 イタリアでもロック・ギターはやはりジミ・ヘンドリクスで、オザンナのダニロ・ルスティチはジミのエモーションを良く受け継いで、クラプトン的な構成力も巧みな、やはり優れたギタリストだった。ベーシストのブランディ、ジャケット・アートも手がけるドラムスのグァリーノも、ブリティッシュ・ロックの重厚さを良く消化したミュージシャンだった。
 エリオのサックス&フルート、ダニロのギターの激情は大きな魅力だが、オザンナがイタリアのバンドでも頭ひとつ抜きん出ているのはリノ・ヴァイレッティのヴォーカルの良さにあるだろう。イタリア語、しかもナポリ語なんかわからなくても張りのあるヴォーカルの表現だけで説得力があるのだ。フレディ・マーキュリースティーヴン・タイラー級の英米のロック・ヴォーカリストに勝るとも劣らない。音楽国だけあってヴォーカルの水準は高いイタリアにあってもオザンナに匹敵するのはバンコとアレアくらいで、バンドとしてはオザンナ以上にキャリアの長いニュー・トロルスやレ・オルメもヴォーカルの良さではオザンナにかなわない。
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 バンドとしても十分に実力があるが、良いヴォーカリストを中心にまとまったバンドの強さをオザンナからは感じる。だが実は『パレポリ』で音楽的頂点を極めながらバンドは解散に向かっていた。オイル・ショック不況がバンドの活動を経済的に圧迫し、『人生の風景』を最後のアルバムにリノとマッシモはオザンナよりさらにナポリの風土色が強いチッタ・フロンターレに、エリオとダニロはノヴァの前身となる英語詞でブリティッシュ・ロック色の強い(イタリア色の薄い)ウーノと、二つのバンドに分裂したが、ウーノはダニロのヴォーカルでは弱く、チッタ・フロンターレサウンドの工夫が足りなかった。オザンナは21世紀になって復活し、来日公演も好評で、動画サイトのライヴ映像を観るとリノのヴォーカルもダニロのギターも40年前からまったく衰えていないどころか、ますます上手く、エモーションとテクニックのどちらもさらに磨きがかかっている(エリオ・ダンナは不参加のようだ)。だがオザンナは30年以上もう復活の可能性はないと思われていたので、"L'Uomo","Mirano Calibro 9","Palepoli","Landscape of Life"はイタリアのロックの生んだかけがえのないオザンナの遺産だった(77年に一時的に再結成し"Suddance"をリリースしたが、実質的にはチッタ・フロンターレのアルバムだった)。
 オザンナの最高傑作はオリジナリティの高い『パレポリ』か、オーケストラとのコラボレーションが聴ける『ミラノ・カリブロ9』のどちらかを上げる人が多く、この二作なら圧倒的に『パレポリ』が面白い。デビュー・アルバム『ルオーモ』も『ミラノ』ではなく『パレポリ』につながるアルバムだろう。
 『人生の風景』は再び英語詞に戻ったことや、ほぼ同時進行でウーノやチッタ・フロンターレのアルバムが制作されていることから、オザンナ解散後の活動に向けたリハーサル的アルバムと取られることが多い。ブリティッシュ・ロック色が強いとか、ウーノやチッタ・フロンターレのアルバムの方が出来は上とさえ言われたりするが、いくらなんでもそんなことはない。初めて聴いたイタリアのロックはオザンナで、しかもこのアルバムだったのだが、一曲目(この曲だけイタリア語詞)からあまりの濃厚さにのけぞったものだ。
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 LP時代のA面は『城』から始まる。物々しいイントロからしばらくはバラード曲かと息を詰めていると、いきなりヘヴィ・ロックになり、インスト・パートは狂乱のプログレ・メタル。この一曲だけでクリムゾンとタルとヴァン・ダー・グラーフを腹いっぱい詰め込まれた気分になる。
 二曲目『人生の風景』は英語詞で、一曲目に較べればオーソドックスな展開だが、タイトルをくどいほど繰り返すヴォーカルが実に暑い。'Cosmic whale'と歌詞に出てくるのは、ジャケットのイラストと呼応しているのだろう。
 A面ラストの『二人の少年』はエアロスミスでもやりそうなストレートなハード・ロックだが(エアロもイタリア系アメリカ人バンド)、エアロみたいに切れが良くない。やはり暑くてドロッとしている。
 B面に移ると『心の中の霧』、これも軽めに始まってヘヴィでプログレ・ハードな展開になる。エリオのフルートはエフェクターを使わずともディストーションがかかっており、ギターよりよっぽど太い音色でリフを吹いている。
 大暴れの前曲の後、『約束の地』はアルバム初めてのアコースティック・バラード。情けない声質のダニロのリード・ヴォーカルがこの曲では生きている。歌メロも甘美だし、ヴォーカル・ハーモニーも儚ない美しさがある。けっこう器用じゃないかオザンナ。
 アルバム終盤の『川』~『いつか,どこかで』は、まず『川』でリノがリード・ヴォーカルに戻って前曲に続いてアコースティック・バラード、これも美メロ曲で、エリオはきれいな曲では情感溢れるきれいなフルートを聴かせてくれる。で、『川』の余韻が醒めやらぬうちにダニロのギターが全力でもだえ泣き、バンド全体がもらい泣きして崩れ落ちていくようなインスト曲『いつか、どこかで』でアルバムは終わる。このタイトルは、もちろんオザンナからの解散のあいさつなのは言うまでもない。
 そうしてオザンナの歴史はいったん終わった。イギリスだったらジェネシスやクイーン級の成功を収めてもおかしくない、素晴らしい才能、個性、力量のあるバンドだった。だがローカルな活動に徹したことで結晶したのが、オザンナというバンドの輝きだったのかもしれない。21世紀になって70年代のイタリアのバンドは次々復活して来日しているのには、ちょっとヴェンチャーズを思わせもするが、たぶん堅気の仕事を定年退職して再び音楽活動に戻ってきた彼らが今でも情熱を失わないでいて、日本のファンがそれを支えているのも情を感じる。