人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小津安二郎『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』(松竹1929,30)

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『大学は出たけれど』(現存短縮版・活弁サウンド入り)
https://www.youtube.com/watch?v=smsUSA0-cls&feature=youtube_gdata_player
https://www.youtube.com/watch?v=L2900JwRAgY&feature=youtube_gdata_player
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 厳しい不況のために大学卒業後も就職できない野本徹夫(高田稔)は今日も面接に行くが、受付以外の空きはないと言われ、大卒の自分にそんな仕事は出来ないと辞退してくる。そこに就職が決まったと嘘の電報をしていた母(鈴木歌子)が新妻の町子(田中絹代)を郷里から連れてきてしまう。母の帰郷後に町子に真実を打ち明けるが、生活費が逼迫し、町子は夫の就職口が決まるまでとバイトを始める。しかしそのバイトはバーのホステスだった。偶然それを見かけた徹夫は憤るが、町子の真情を知り反省する。翌日以前の会社を訪問し、受付でもいいので雇って下さいと言いに行く。重役はその態度に感心し、社員として雇うといってくれ、晴れて徹夫の就職は決まるのだった。
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『落第はしたけれど』(完全版)
https://www.youtube.com/watch?v=V1NLbXQZGXw&feature=youtube_gdata_player
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 同じ部屋に下宿する高橋(斎藤達男)や杉本(月田一郎)ら五人は大学の卒業試験勉強中。一方、劣等生仲間たちはカンニング準備にいそしむが、初日には失敗。そこで劣等生仲間から頼まれシャツに試験の答えを書くという方法を考えた高橋だが、下宿のおばさん(二葉かほる)がそのシャツをクリーニングに出したため試験に落第、下宿仲間のうち一人だけ卒業できない。最下位で合格した杉本は学務課に高橋の合格を懇願するが退けられる。下宿仲間の服部(笠智衆)らは杉本も誘い落胆する高橋を残して卒業祝いへとくり出す。高橋は落第をめでたいと勘違いする下宿のおばさんの子供(突貫小僧)にふてくされるが、恋仲のカフェの女給・小夜子(田中絹代)の励ましで立ち直る。しかし下宿仲間たちは卒業したものの、不況で就職口が決まらない。新学期が始まっても彼らは職がなく、学校に戻りたい気持になる。下宿の窓からは早稲田大学の講堂が見え、早慶戦の応援団の声が聞こえてくる。新学期、高橋ら劣等生仲間は再び登校を始めるのだった。
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 この二作を併せて紹介するのは、連作ではありませんが当時未曽有と言われた就職難が作品の背景にあって、「大学は出たけれど」とはこの映画タイトルによるものではなく当時の流行語だったそうですが、映画タイトルになったことでいっそう広く浸透したといわれます。大学卒業者は日本の全人口の2%だった当時で失業者数は全国30万人、大学卒業者の就職率は30%とも40%ともされました。文化的には急激な西洋化(モダニズム)が進むとともに、経済では世界的な大恐慌が始まり、共産主義運動への期待が高まるのに応じて治安維持法を始めとする国民統制制度が促進されていき、やがて国家関係の悪化から北半球国家の国際戦争まで達していく、その兆しが顕われたのが1929年という年でした。
 二作を併せて紹介するのは、『大学は出たけれど』がデータでは70分の長編映画だったにもかかわらず、現存するのは12分~15分にダイジェストされたフィルムしかないことです。幸いシナリオだけは完全なものが残されており、この作品は松竹の盟友監督・清水宏が原作で、『落第はしたけれど』は小津自身の原作によるものです。七分の一に短縮された『大学は出たけれど』も一応作品の起承転結は押さえてあり、最初の面接、上京してきた母と新妻に無職をごまかす(通勤するふりをして「彼の職場」と字幕が出ると野原で子供たちとキャッチボール、「子供たちと親しくなった頃には」と帰郷する母)、雑誌「サンデー毎日」の表紙にひっかけて自嘲的に妻に事実を打ち明ける場面(「僕には毎日が日曜日さ」)、夫を面接に送り出し陸橋の上から電車を見送る妻、雨の日にも面接に出かける夫を送り出す妻(雨のシーンは後年の小津作品では稀)、友人に誘われて入ったバーで女給をしている妻を発見した時の夫婦ともに気まずい場面の抑えた演出、主人公の決意と無理のない程度のハッピーエンドなど、たった12分の短縮版にも印象に残るシーンがたっぷりと詰まっています。
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 小津作品に限らずサイレント~サウンド版~トーキー初期のフィルムの現存率はヒット作ほど多く、それはヒット作ほど上映館数の需要に応じてプリントの複製本数も多いので廃棄を免れる確率も高まるからですが、『大学は出たけれど』はコメディの体裁をとりながらもテーマの重さや扱いは娯楽作品としてはしんどく、その結果添え物上映用に短縮版が作られた以外、全長版は残されなかったのかもしれません。
 小津自身の原作による『落第はしたけれど』も背景になっているのは大卒学生の就職難ですが、作品が描いているのは卒業試験をめぐる学生生活のコメディなので、いわば世相を笑い飛ばす内容であり、それがこの作品を愛され、フィルムを後世に残した要因になったのでしょう。サイレント期の映画はテーマ的に問題作とされるような作品よりも一見すると、軽くて他愛もない作品の方が多くフィルムが現存しているのです。
 ですが『落第はしたけれど』は国産学生コメディのサイレント期の快作で、大学コメディの先駆でロイド最大のヒット作(同年のチャップリン『黄金狂時代』やキートンの『セブン・チャンス』『西部成金』をはるかに引き離すヒット)『ロイドの人気者』1925の影響は明らかで、学生課のシーンでは『ロイドの要心無用』1923の冒頭の視覚的トリックを使ったギャグを引用(しかも念入りに二度も)しているほどです。自宅の壁にロイド映画のポスターが貼ってあるのは『大学は出たけれど』ですが、ロイド映画のギャグの直接引用はこの作品がロイド映画と同じ精神で作られていることの、作者からのメッセージでしょう。『大学は出たけれど』と『落第はしたけれど』をはっきりと別の作品にしているのはまさにその、映像による純粋なスラップスティックの追求で、それは劣等生五人組が素っ頓狂なステップを揃えて歩く決まりとか、下宿仲間五人組も菓子パンの共同購入に、(1)レコード・プレイヤーにルーレット式に数字を描いたレコードを載せて回し、目をつぶって一人ずつ出た数字だけ小銭を供出する、(2)窓から向かいのパン屋に空気銃を撃ち、障子に数人がかりで影絵を作ってパン屋の娘に注文する、と生活そのものを遊びの世界にしており、主人公の高橋は下宿仲間五人組と劣等生仲間五人組の両方に属する唯一の人物です。下宿仲間のうち高橋だけが落第生となるが(劣等生仲間にも属するため)、落第はしたけれど結局卒業できたが就職できない高橋以外の下宿仲間からは羨ましがられることになる。恋人役の田中絹代は小津作品には初めての出演でまだ19歳、当時お嫁さんにしたい女優No.1の人気もわかる愛らしさで、後年のイメージからは意表を突かれますが微笑ましい気がします。
 世相風俗的には喫茶店の女給が学生のアイドルだったり、当時は大学卒業後に就職活動するのが一般的らしいのが『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』のどちらからもわかります。地方出身の裕福な実家を持つ長男が、実家からの仕送りで生計をまかないながら大学生活を送るのが一般的だった(地方大学というのもなかった)という条件もわかります。
 この二作はどちらも(短縮版しかないものさえも)成功した作品ですが、世相そのものをテーマにしたか、世相はテーマの背景にとどめて映画自体の洗練(ソフィスティケーション)をテーマにしたかで明暗が分かれたようです。『大学は出たけれど』の全長版が発見されれば大事件で、世界中の映画資料館からプリントのリクエストが殺到するでしょうが、短縮版でも何も残っていないよりは良く、ここまで短縮しても一応作品にはなっているだけ了とすべきでしょうか。