人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小津安二郎『東京の女』(松竹1933)

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『東京の女』(全・無声)
https://www.youtube.com/watch?v=uoRQ6UeXduQ&feature=youtube_gdata_player
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 小津戦前のフィルム現存作品ではここまでには『朗らかに歩め』1930を飛ばしてきましたが、それは同年の『落第はしたけれど』や『その夜の妻』、翌年の『淑女と髯』『東京の合唱』に急ぎたかったからで、『朗らかに歩め』もサイト上で観ることができます。不良少年たちが更生するまでを描いた佳作で、『淑女と髯』の不良少女のエピソードを先に独立して描いたような作品です。
 傑作『生れてはみたけれど』1932.6と同年には1月に『春は御婦人から』、10月に『青春の夢いまいずこ』、12月に『また逢ふ日まで』の計4作を発表しますが、『生れてはみたけれど』以外でフィルムが現存するのは『青春の夢いまいずこ』で、学友同士の斎藤達雄江川宇礼雄(スチール左・『東京の女』で主演)が卒業後は平社員と会社の若社長になる。斎藤達雄の恋人と知らずに江川宇礼雄田中絹代に接近するが斎藤達雄は諦めている。事情を知った江川宇礼雄斎藤達雄に卑屈になるな、と殴りかかり、身を引く、という『落第はしたけれど』『東京の合唱』『生れてはみたけれど』を混ぜ合わせたような、これも佳品です。これを見送って『東京の女』1933.2に急ぐのは、同年4月の『非常線の女』、9月の『出来ごころ』(キネマ旬報年間日本映画No.1)がいずれも現存しており、この昭和8年の小津は一作ごとに非常に大胆な実験をしているからでもあります。
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 小津の現存作品でも『朗らかに歩め』『青春の夢いまいずこ』『東京の女』『東京の宿』はDVDでは単品発売がなく(VHSヴィデオテープ時代はありましたが)、『朗らかに~』『青春の夢~』は前述の理由で紹介を割愛しましたが、『東京の女』と『東京の宿』1935.11はそうはいきません。小津はタイトルに「東京」を含む映画をサイレント期に『東京の合唱』『東京の女』『東京の宿』、戦後に『東京物語』1953、『東京暮色』1957年の5作撮っており、東京とつける時は格別に強い印象を残そうとしていると思われます。
 この作品は47分という短さですが、映画検閲に抵触して短縮されたそうですから、当初は60分前後の作品として完成されたのでしょう。ドラマとしては60分では全編で一つのエピソードになるような規模のものしか描けない。その代わり全編が映像技法の実験で溢れており、『生れてはみたけれど』でも十分に感じられた小津ならではの映像スタイルが、今回はドラマとしてはよりシンプルな分だけなおさら印象深く感じられます。
 冒頭は映画タイトルに続いて「エルンスト・シュワルツ(墺1882-1928)『二十六時間』より翻案」と出ますがこれは大嘘で、純然たるオリジナル脚本です。スタッフ・クレジットの簡略さは当時では普通ですが、キャストが姉-岡田嘉子、弟-江川宇礼雄、娘-田中絹代、兄-奈良真養と、四人しか出ません。
 大学生の弟とその姉が朝の支度をしている場面から映画は始まります。弟は学校帰りに恋人の娘とデートする予定です。姉は会社勤めのタイピストですが、千駄ヶ谷の大学教授に翻訳の仕事を頼まれているから今夜も遅くなるかも、と二人ともアパートを出ます。
 姉の職場には巡査をしている娘の兄が姉の素行を聞き込みに来ていました。姉はそれには気づきません。姉の打つ英文タイプの画面がそのままアメリカ映画のクレジット・タイトルに変わり、弟と娘の映画館デートで映画の抜粋場面が挿入されます。
 娘がデートを終え帰宅すると、兄の巡査が制服から普段着に着替えていました。彼氏のお姉さんに訊きにいかなければならないことがあるんだ、と兄が言うので、どういうこと、と娘は映画パンフレットを投げ出します。そこで映画が『百万ドルもらったら』とわかります。
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 この先の展開はどの人物の言動も軽弾みというしかなく、兄は彼のお姉さんは晩は酒場で働いているらしい、妹がショックを受けると「それだけじゃなく……」と耳打ちすると、兄妹とも絶句して立ちつくします。
 姉が酒場で化粧しているインサート・ショット。再び巡査兄妹に戻り、「そういう話なら私が行った方がいいと思うの」と娘。軽々しく職務上の秘密を話す巡査兄も軽率ですが、それを代行しようという妹娘も朝墓です。訪ねていくと当然アパートには大学生しか帰っていない。娘は大学生に洗いざらい話してしまいます。大学生は激昂して恋人を追い返しますが、姉から「遅くなるから」と電話がかかってくる。一方姉は高級車に乗り込むと、待たせていた男が「電話の相手が気になるね」と笑います。
 姉が帰宅するとまだ弟は起きています。姉は否定も塗装も釈明もせず、弟に自分のことは気にかけず大学を出て立派になっとくれ、と訴えますが、弟は出て行きます。
 姉は追って夜通し弟を探しますが見つかりません。巡査の家では兄が「やっぱり僕が行った方がよかったな」と話していますが、姉が「弟は来ていませんか」と訪ねてきます。そこに隣の時計店から「こちらにお電話ですよ」と電話を貸してくれます。それは自宅アパートで縊死自殺した弟の報でした。「思い当たる節はありません」と新聞記者を退けた後、姉と娘は遺体の脇に座り、姉は「とうとう最後までお姉さんの気持をわかってくれなかったわね!弱虫!」と自殺者を痛罵します。
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 と、これは現存フィルムを観ると弟の学費のために売春する姉、という話にしか見えませんが、実は検閲で切られる前のディレクターズ・カット版(現存せず)では姉は弟の学資のためだけではなく、共産党の非合法活動のための資金繰りを目的に夜の女をやっており、これは個人的な売春よりも社会的には大きな問題ですから警察にもマークされ、娘や弟にとっても大きなショックになるわけです。また、非合法活動ではあれ共産主義の実現に信念を持ったヒロインであれば、嘘も方便の秘密が露顕しても弟に理解を求めこそすれ、否定も塗装も釈明もしないのはむしろ当然だし、自殺した弟を「弱虫!」と責めざるをえないでしょう。
 おそらく全編を通して10分が、ヒロインの非合法活動と関連した場面か、もしくは字幕だったと思われます。原作を架空のドイツ系作者の作品としたのも、『東京の女』の東京たるゆえんもそこにあったでしょうが、作品としての成功よりも実験的な小品という意図より出ない、そこを楽しめれば楽しく観ていられる作品です。また、この作品や同年の『非常線の女』『出来ごころ』ではいよいよトーキー化への 移行の必然性も感じさせるものになっています。