人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小津安二郎『東京の合唱(コーラス)』(松竹1931)

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『東京の合唱』(全・ピアノ伴奏つき)
https://www.youtube.com/watch?v=2LbQKUzZqf8&feature=youtube_gdata_player
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 小津には同じ俳優が演じる人物には同じ役名を与える好みがあり、戦前作品では坂本武の「喜八」もの、戦後作では原節子の「紀子三部作」が有名です。この『東京の合唱(コーラス)』でも岡田時彦は同年に先に撮られた『淑女と髯』に続いて岡嶋という役名、ただし今回は失業サラリーマンもので、『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』に続く「失業はしたけれど」といったところでしょうか。翌1932年の『生まれてはみたけれど』は「就職はしたけれど」とも置き換えられる作品です。
 タイトルの『東京の合唱』は素晴らしいイメージ喚起力があり、冒頭は体育教師・大村(斎藤達雄)が奮闘する滑稽な旧制高校の体育の授業シーンから始まりますが、生徒の一人にクローズ・アップが当たり、そこから字幕一枚で「そんな彼も今では……」と一気に二人の子持ちサラリーマンに飛びます。主人公・岡嶋(岡田時彦)の息子と娘(高峰秀子)が朝から遊びに興じており、娘の紙風船の遊び相手をしてやると息子が自転車が欲しい、と言い出します。ママに訊いておいで。息子が戻ってきて、ボーナスの日だからパパにお願いしてって。よし、帰りに買ってきてやるよ。この辺のやりとりは昭和6年平成26年も変わらないものです。朝食の席で妻すが子(八雲恵美子)と「一か月分も出ればいい方かね」「120円くらいですか」と会話し、どういう会社かわかりませんがどの社員の机も無茶苦茶に散らかっている(あんまりなギャグ)社内になり、一人ずつ社長室に呼ばれてボーナスの受け取りになります。
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 この会社は完全に悪夢めいて不条理な冗談の世界として描かれており、社員たちの一喜一憂、ボーナスの中身の確認をめぐるギャグ(トイレで開封中に落としてしまう、机上で扇風機にあてて乾かすなどの尾籠なギャグあり)がひとしきりあった後、岡嶋は向かいの席の老社員・山田(坂本武)から来年定年を控えて今日馘首された、実は審査を通さないで契約させた顧客が相次いで急死して会社に損害をかけた、とようやくこの会社が生命保険会社だとわかります。岡嶋は不当解雇だと憤慨し社長室に抗議しに行きますが、脅迫行為とされて自分もクビにされてしまいます。
 岡嶋は山田と飲みに寄って帰宅し、自転車のかわりにスケートボードを息子の土産にしますが当然息子は納得しません。怒り泣きして暴れる息子を折檻していると妻が割って入り、息子の言い分を聞いて約束を守らないパパが悪いととりなしますが、夫の解雇を聞いて肩を落とします。幼い姉弟には事情はわかりませんが、母の様子から気配を悟っておとなしくなります。高峰秀子はこの時7歳の子役ですが、この姉弟は実に生き生きと子供らしく描かれています。
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 岡嶋は再就職に東奔西走しますが職安には失業者の行列、偶然路上でビラ配りのサンドイッチマンをしている山田と出会い山田は恥入りますが、岡嶋は「職があるだけいいですよ」と自嘲気味に返します。この出会いが後の展開に説得力を持たせるための伏線になっています。
 次に「子供は急に病気になる」と字幕が出て、高熱を出して縁側近くの床に寝込んでいる長女。見守る夫婦と弟。医師が「もう大丈夫でしょう」。字幕「子供は急に治る」。まあこれも今でも変わらないことですが、昭和6年でしたらつい20年前まで続いた明治時代には「子供は急に死ぬ」というのもあったわけです。直接主人公夫婦が経済状態について話し合うシーンはありませんが、昭和20年代までの日本映画を観る時、当時は国民健康保険などなかったのを忘れてはならないことです。
 奥さんが出かけようとするとタンスから一段分衣類がない。「金に換えてしまったよ」「そうですか……」と落胆するが仕方なく納得する妻。このタンスではもうひと騒ぎあって、相変わらず就職口は見つからない、帰宅すると子供たちは陽気に遊んでいて、紙風船が部屋着に着替える岡嶋の頭上を超えてタンスの上に隠れてしまう。イライラしながら手探りするとレコードが落ちてきて埃が舞い、余計イライラしながらレコードを戻すとまた落ちてきて割れてしまう。1950年のLPレコード開発まではレコードはSPレコードという分速78回転・直径30cmで片面3分というもので、塩化ビニールではなくシュラックという割れやすい材質でできていました。子供たちがすかさず割れたレコードを組み合わせパズルにして廊下を滑らせて遊び始めます。面白いシークエンスですが必要不可欠とまでは言えず、こうした挿話の連続は構成面ではやや冗長な印象を受けます。
 岡嶋は職安の帰り、路上でビラ配りをしている退職したばかりの大村と出会い、退職後に開業準備して間もない洋食屋『カロリー軒』のビラ配りとのぼり持ちの手伝いを頼まれます。カロリー軒のメニューはビールとカレーとカツカレーしかありません。店のネーミングもメニューも単純化によるギャグです。岡嶋はためらいますが、恩師の方も教育関係者に就職口を斡旋できるから岡嶋に頼むのをやましく思っており、結局おたがいの利益の一致で手を打つことになります。
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 すが子は子供二人を連れて親戚に就職口を打診しに向かいますが、市街電車の窓から子供たちがのぼりを担いだ岡嶋の姿を見つけてはしゃぎだします。帰宅したすが子は岡嶋を「あんな事までしなくても……」と責めますが、就職口の斡旋という理由に反対はできません。
 カロリー軒で開業記念同窓会が開かれます。すが子は厨房を手伝い、子供たちは大村先生のおかみさんに子守りされて宴会に大喜びです。その最中、岡嶋の就職口の通知が届きます。女学校の英語教師、ただし栃木と知って妻は落胆しますが、いつか東京に戻れますよねえ、と呟きます。やがて一堂で寮歌斉唱になり、岡嶋と大村は涙ぐみながら合唱に加わります。
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 同年2月の『淑女と髯』も軽やかながら機知の浮わつかない快作でしたが、5月公開の散佚作品『美人哀愁』は2時間40分近い大作をうまく整理できなかった作品らしく、三角関係の恋愛悲劇で三人とも死ぬ、と大胆な内容はかえって珍重すべきですが散佚作品では今日の目ではどう見えるか判断できません。『美人哀愁』の製作中に同時代的な失敗はすでに予感されていたのでしょう、『東京の合唱』では小津はすでに手馴れた題材に戻り、さらに充実した作品に仕立て上げました。短縮版しか残っていない『大学は出たけれど』と安易な比較はできませんがアメリカ映画の直訳に近い翻案だった『若き日』『落第はしたけれど』や『その夜の妻』とは一線を画した作品が『淑女と髯』としても、『東京の合唱』ではむしろアメリカの不況映画、たとえばキング・ヴィダーの『群集』やウィリアム・ウェルマン『人生の乞食』(ともに1928)の苦い人情悲喜劇を日本の世相風俗ではどう描けるか、現実を厳しすぎず甘やかしもしない程度に反映してみせたもので、栃木の人は栃木に赴任でどこが不満だと文句もあるでしょうが、東京暮らしの一家が転職で転居するには就職口を世話する側もぎりぎりの譲歩なのです。ハッピーエンドには違いないのですから主人公一家は栃木で幸せに暮らすことになるでしょう。少なくとも主人公をクビにした不条理な生命保険会社のような世界ではないはずで、あの会社をそのまま拡大したような世界がこの映画の東京です。笑いたい時に泣き、泣きたい時に笑わなければならない、そういう世界です。小津は江戸っ子ですが、だからこそ東京を美化はしない。人生が悪夢ならそれが生存競争の中で露骨に顕れるのは東京のような新興の都会です。小津映画で「東京」がタイトルに来る作品は主人公の受難話になるわけです。
 ここまで来れば、まだ28歳にして小津は、偶然ではない確かな足場にたどり着いたと見るべきでしょう。事実、小津は『東京の合唱』で初のキネマ旬報・年間日本映画ベストテン入りを果たしました。いきなりの3位入選は監督22作目というキャリアも加算されているでしょう。『東京の合唱』は中盤ややまどろっこしい展開で中だるみの感がありました。それをいっそう鋭利に、ストレートなのに含蓄のある表現を獲得するのが翌1932年の『生まれてはみたけれど』で、その作品から小津は連続3年キネマ旬報・年間日本映画ベストワンを獲得します。