人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

No Direction Home

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 日本の法律では、住民登録を喪失し浮浪生活者になっている国民はそれだけで逮捕・拘置の対象になっている。犯罪抑制の名目によるものだが、日本の国法が独自に生み出したものとは思えないから、おそらく西欧近代国には共通する条項なのだろう。前近代の西行芭蕉のような放浪は事実上違法行為に相当する。領土権同様に、国家はすべての国民を管理する権限がある。国家が真に民主制ならば、これには明らかな矛盾がある。だがこの場合、国民主権を持ち出すとすれば、放浪者は国民から除外されているということになるだろう。
 ボブ・ディラン『ライク・ア・ローリング・ストーン』で歌われているのはそうした放浪なので、"With No Direction Home" という歌詞は法からの逸脱を意味する。ジョン・レノンにも"Nobody loves you, when you down and out" という曲があるが、ディランと同義だろう。浮浪生活はブルースの主要テーマでもあるが、ブルースはそれを誇示するので、民権確立以降の黒人リスナーからは逆に嫌われることも多くなったという。それは露悪的に過ぎるのだ。
 だが少なくとも日本では、機械的な逮捕・拘置は路上生活者の再生産しか果たしていない。一定期間拘置してまた放り出すだけで、社会復帰へのサポートが無きに等しいからだ。犯罪抑制どころか、むしろ逼迫から犯罪に追い詰め、逮捕・拘置慣れした常習犯にすらさせることになる。だが多くの人はそんなことは他人事だと思っている。"No Direction Home" とは何か、直面しないで済む人が大多数なのは幸せなことで、それは不幸の社会的排除、隠蔽化から成り立っていることでもある。