人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

追悼・ダモ鈴木(1950~2024)

ダモ鈴木 (本名・鈴木健次、1950.1.16 - 2024.2.9)
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 旧西ドイツ1970年代最高のロック・バンド、カンの二代目ヴォーカリストにしてカン全盛期のフロントマンだった伝説的存在、ダモ鈴木さんの逝去を、遅ればせながら追悼したいと思います。1968年に結成されたカンは、ドイツ人メンバー4人に、ヴォーカリストとして当時西ドイツ留学中だったアメリカ人黒人画学生マルコム・ムーニー(1944~)を迎えて1969年に大傑作デビュー・アルバム『モンスター・ムーヴィー (Monster Movie)』(Music Factory/Liberty 1969.8)を制作・発表し、500枚をプレスした自主レーベルのミュージック・ファクトリー盤が即完売になったのを受けて、同年中に大手ユナイテッド・アーティスト・レコーズ傘下のリバティ・レーベルからメジャー・デビューしました。しかし留学中にホームシックでノイローゼに陥っていたムーニーはアルバム3~4枚分もの録音を残しながら『モンスター・ムーヴィー』完成直後には脱退・帰国してしまい、バンドは火急に二代目ヴォーカリストを探すことになります。そこで路上パフォーマンス中をスカウトされ、正式加入することになったのが19歳の日本人ヒッピー、ダモ鈴木で、ダモ加入後初めてのアルバムはムーニー時代の音源が半々の映画・テレビ番組への提供曲集『サウンドトラックス (Soundtracks)』(United Artists/Liberty, 1970.9)でしたが、続くダモ鈴木参加時代のアルバム『タゴ・マゴ (Tago Mago)』(United Artists, 1971.2)、『エーゲ・バミヤージ (Ege Bamyasi)』(United Artists, 1972.11)、『フューチャー・デイズ (Future Days)』(United Artists, 1973.8)は、『モンスター・ムーヴィー』『サウンドトラックス』、またダモ鈴木脱退後に発表されたドイツ人メンバー四人の力作『スーン・オーヴァー・ババルマ (Soon Over Babaluma)』(United Artists, 1974.11)、ムーニー、ダモ時代の未発表音源集『アンリミテッド・エディション (Unlimited Edition)』(Virgin/Caroline, 1976.5)、カン解散後に発表されたムーニー時代の未発表音源集『ディレイ1968 (Delay 1968)』(Spoon, 1981)とともに、メンバー分裂前のピンク・フロイドの10作(サントラ盤2作除く)、レッド・ツェッペリンの9作(ライヴ盤1作除く)、ロキシー・ミュージックの8作(ライヴ盤1作除く)に匹敵する作品群として1980年代以降ますます評価が高まり、カンを不動の1970年代の最重要ロック・バンドの地位に押し上げました。8作もの傑作アルバムがあり、しかもそのうち2作がLP2枚組大作となれば、今後もカンの評価は揺ぎないでしょう。そしてカンの絶頂期と見なされるのはダモ鈴木在籍時の3作『タゴ・マゴ』『エーゲ・バミヤージ』『フューチャー・デイズ』です。その間ダモ鈴木は20歳~23歳でした。今日『Tago Mago』『Ege Bamyasi』『Future Days』をカン3大傑作とする評価の例を上げると、シカゴのオンライン音楽誌「Pitchfork Media」が2004年6月に「Top 100 Albums of 1970s」の特集を組んでおり、カンのアルバムでは上記3作が入選しています。『Future Days』が56位(57位がポール・サイモンPaul Simon』1972、55位がニック・ドレイク『Bryter Layter』1970)、『Tago Mago』が29位(30位がマイルス・デイヴィス『On the Corner』1972、28位がザ・ビートルズ『Let It Be』1970)、『Ege Bamyasi』が19位(20位がT.レックス『Electric Warrior』1971、18位がマイルス・デイヴィス『Bitches Brew』1970)となっており、前後に並ぶアーティストやアルバムからも、カンが国際的に'70年代最重要バンドのひとつに位置づけられていることがわかります。

 神奈川県生まれのダモ鈴木こと鈴木健次は中学校在学中から新宿で最年少ヒッピー(フーテン)として名を馳せ、高校中退後の1960年代後半には単身日本を飛び出してアメリカへ密航し、以後アメリカ25州を経て世界各地を単独放浪して東南アジア諸国を回り、ヨーロッパへと渡り、ギターの弾き語りをしながら放浪の旅を続けていました。海外放浪のきっかけについて、ダモ自身は元から地理好き、かつ厚木基地の近くで育ったことを上げています。ヨーロッパに漂着してからの鈴木は、新聞に「パトロン募集」の広告を出し、ようやく物好きな金持ちのパトロンを得ますが、その生活にも飽き、路上でギターの弾き語りをしてヨーロッパ放浪を続けましたが、ギター演奏も自己流なら、曲もすべてその場の即興演奏でした。人目を惹くため長髪に火を点けたり、裸になったりとい奇行の数々をくり返し、ヨーロッパ各地を放浪していた鈴木健次が「ダモ鈴木」と名乗るようになったのは、森田拳次の漫画『丸出だめ夫』に由来するそうです。当初は「だめ夫鈴木」と名乗るも、西洋人には「だめ夫」は発音しづらく、いつの間にか訛って「ダモ」になり、のちにダモは「蛇毛」と漢字の当て字をするようになりました。

 一方当時のカンは、ライヴでもバンド自身の所有スタジオでの録音セッションでも、24時間以上連続で演奏を続け、演奏中に交代制で仮眠と食事を行い、また演奏に戻るという徹底した即興演奏集団でした。カンは1970年4月には脱退したムーニーに代わるヴォーカリストを探し、オーディションも行っていましたが、カンのメンバーの求める条件はムーニー同様ミュージシャン経験もないまったくの素人ヴォーカリストでありながらポテンシャルの高いパフォーマーという、通常のロック・バンドの基準からは外れたものでした。そんな中、ミュンヘンでの路上ライヴの小休止中に、ギターを弾きながら奇声をあげていたダモを発見したメンバーは、即日ダモをムーニーに代わる二代目ヴォーカリストとして採用します。ダモを迎えた初のカンのライヴは観客同士の乱闘騒ぎが発生し、数十人が警察に連行されるという騒ぎになるも、カンのメンバーはいよいよダモの潜在能力に期待を抱きます。もっともロックと言えばグランド・ファンク・レイルロードくらいに思っていたダモはカンの音楽に興味がなく、あくまでたまたま勧誘されて参加しただけでした。のちにダモは「年寄りばっかりで変なバンドだと思った」とインタビューに答えています。カンの中核メンバーは30歳を越えた、いずれもロック以外(現代音楽、フリージャズ、実験音楽)のキャリアを積んできたベテラン・ミュージシャン集団でした。マルコム・ムーニーといいダモ鈴木といい、カンという変なバンドは、アメリカのサイケデリック・モンスターのルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)、ロッキー・エリクソン(13thフロア・エレヴェーターズ)、ジム・モリソン(ザ・ドアーズ)、ティム・バックリーに匹敵するヴォーカリストを、よくまあ見つけてきたものです。

 ダモ鈴木の加入とLP2枚組大作の傑作『タゴ・マゴ』によって国際進出を果たしたカンは、以降西ドイツ国内のみならずイギリス、フランス・ツアーも毎年のように成功させます。西ドイツのバンドではのちにタンジェリン・ドリーム、アモン・デュールII、クラフトワークスコーピオンズが国際進出を果たしましたが、カンの国際的成功はそれらのバンドに先駆けていました。ダモ鈴木は『フューチャー・デイズ』発表後のセッション中に突然スタジオを脱走し、そのまま戻って来なかったと伝えられ、原因はさまざまに伝えられましたが(「エホヴァの証人の女性と結婚し、布教活動のため脱退した」という噂を後年のダモも否定せず、「それより『フューチャー・デイズ』で最高傑作を作ってしまい、カンには未練がなくなった」とつけ加えています)、のちのダモは消息を断ち、若手バンドと活動を再開していると判明した1990年代まで伝説的存在となりました。1970年代後半には一時日本に帰国し、日本のミュージシャンと対談しましたが、当時のダモと会った鈴木慶一や、サディスティック・ミカ・バンドのイギリス公演時に面識を得た高橋ユキヒロは「嫌な奴だった」と証言しています。カンほどのバンドで成功体験を経たダモ鈴木が日本のミュージシャンに尊大だったのは想像に堅くありません。

 1980年代に音楽活動したダモ鈴木の近況は、アンダーグラウンド・シーンのものだったためインターネットの普及から情報が知られるようになった1990年代まで相変わらず謎のままでした。しかしカンの再評価が高まるとともにダモ鈴木への注目度も一気に上がり、'90年代後半以降ダモ鈴木が残したアルバムは30作以上に渡ります。ダモ鈴木は2024年2月9日、雁のためケルンの自宅で、74歳で逝去しましたが、カン加入前から実践していた即興演奏歌唱(ダモ自身は「インスタント・コンポージング」と称していました)を貫いたヴォーカリストでした。歌詞もまた即興で英語、日本語、ドイツ語を自在に混交したもので、即興的に歌うメロディーも演歌のようなロックのような、ヒッピー時代のサイケデリック感覚に満ちたものでした。

 ダモ鈴木在籍時のカンは史上最強のサイケデリック・ロック・バンドでした。珍しくアルバムでのアレンジ通りにテレビ出演スタジオ・ライヴを行った、『タゴ・マゴ』冒頭の名曲「Paperhouse」の映像が残されています。バンドをおやりになったことのある方なら、カンの演奏の異様さ、独創性に驚嘆されるでしょう。このスカスカなアンサンブル、特にベースとドラムスのコンビネーションは、ベーシストにチャーリー・ヘイデン(1937~2014)を擁した、オリジナル・オーネット・コールマン・カルテットを彷彿させます。
Can - Paperhouse (TV Broadcast from "Beat Culb", 1971) : https://youtu.be/LPjF4ZHuIko?si=ZNl68KH_24HOBBqS
 また、ダモ鈴木加入後のカンが最初のセッションで完成した楽曲が、映画挿入歌用に録音された『サウンドトラックス』収録の佳曲「Don't Turn the Light on, Leave Me Alone」で、同曲はのちに村上春樹原作の映画『ノルウェーの森』にも再使用されています。この曲は「Paperhouse」同様リズム・パターンはラテン(サンバ)・ロックで、カンの音楽は本質的にはファンクをベースにしたロックなのですが、あまりにダウナーなサイケデリック感覚に富んだ異様な演奏とヴォーカルのため、ラテン・ロックにもファンクにも聴こえません。ラテン・ビートなのでフルートもダビングされていますが、サンバ的な陽気さとは真逆の陰鬱なムードのためにユーモラスにすら聴こえるほどです。この「Don't Turn the Light on, Leave Me Alone」ではドラムスも異様で、バス・ドラムの皮をぎりぎりまで緩めて水平にセットして、おそらく数人がかりでマレットで叩いたと思われるサウンドが聴けますが、その発想も異常なら、こんなサウンドはカンのアルバムでしか聴けないというものです。また、同アルバムで聴けるダモ加入直後最高の1曲はイエジー・スコリモフスキ監督作『早春』に提供された14分もの「Mother Sky」で、同曲は当時のカンのライヴを1時間半フル・セット収録した、テレビ用の観客入りスタジオ・ライヴ・ヴァージョンの映像での演奏も観ることができます。特にダモ鈴木が加入して半年ほどの1970年の全8曲・85分(リンク先の曲順は間違っており、「Bring Me Coffee or Tea」は6曲目で「Don't Turn the Light on~」は7曲目、8曲目の「Paperhouse」でライヴは終了しています)のテレビ用スタジオ・ライヴは、当時のカンがすでに全盛期のヴェルヴェット・アンダーグラウンドやザ・ドアーズに匹敵するサイケデリック・モンスターであり、ピンク・フロイドレッド・ツェッペリンにも遜色ないポテンシャルを秘めたバンドだったのを思い知らせます。
Can - Don't Turn the Light on, Leave Me Alone / Mother Sky (from the album "Soundtracks", United Artists/Liberty, 1970) : https://youtu.be/Y3102Jo8OuM?si=O8uZgTvCtFS4GRtr
https://youtu.be/W_NawuudzXM?si=GqaY_10yXQz_5IfQ
https://youtu.be/7zhdNviS0Vs?si=zTNBSeesE4wcSKy9
 カンのオリジナル・メンバーは現代音楽出身のイルミン・シュミット(1937~, キーボード、シンセサイザー)、実験音楽出身のホルガー・シューカイ(1938~2017, ベース、エンジニア)、フリー・ジャズ出身のヤキ・リーベツァイト(1938~2017, ドラムス、パーカッション、フルート)、シューカイの生徒でR&B好きだったミヒャエル・カローリ(1948~2001, ギター、ヴァイオリン、ヴォーカル)のドイツ人四人に、マルコム・ムーニー(1944~, ヴォーカル)が初代ヴォーカリストダモ鈴木(1950~2024, ヴォーカル)が二代目ヴォーカリストとして加わったものでした。解散後もメンバーはイルミン夫人のヒルダが運営するスプーン・レコーズに所属していたので、おたがいのソロ・アルバムに参加しあい、再発プロジェクトのたびに結集し、2000年にはカン・プロジェクトとしてイルミン、ヤキ、ミヒャエルの3人が来日公演を行う予定でしたが、翌年病没するミヒャエルの病状悪化により中止となっています。ミヒャエルに続いて2017年にはキーパーソンというべきホルガー、ヤキも逝去し、ダモ鈴木も逝去してしまった現在、未発表音源の発表こそあれカンの再結成、またカン名義の新作はあり得ないでしょう。ダモ鈴木ウィキペディアにおいてヨーコ・オノとともにもっとも重視されている日本出身のミュージシャンです。ニュース・サイトで訃報が伝えられなかったのが不思議でなりません。