人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Billie Holiday - Lady in Satin (Columbia, 1958)

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Billie Holiday - Lady in Satin (Columbia, 1958) Full Album
from "Lady Sings The Blues" (Not Now Music) : http://youtu.be/OHQcZy5DF_Y
Recorded 19-21 February 1958
Released June 1958
[Side A]
A1.恋は愚かというけれど "I'm a Fool to Want You" (Frank Sinatra, Joel Herron, Jack Wolf) - 3:23
A2. 後生だから "For Heaven's Sake" (Elise Bretton, Sherman Edwards, Donald Meyer) - 3:26
A3. 恋を知らないあなた "You Don't Know What Love Is" (Gene DePaul, Don Raye) - 3:48
A4. あなたなしでも暮らせるわ "I Get Along Without You Very Well" (Hoagy Carmichael) - 2:59
A5. フォー・オール・ウィ・ノウ "For All We Know" (J. Fred Coots, Sam M. Lewis) - 2:53
A6. コートにすみれを "Violets for Your Furs" (Tom Adair, Matt Dennis) - 3:24
[Side B]
B1. 心変わりしたあなた "You've Changed" (Bill Carey, Carl T. Fischer) - 3:17
B2. 思い出はやすし "It's Easy to Remember" (Lorenz Hart, Richard Rodgers) - 4:01
B3. バット・ビューティフル "But Beautiful" (w. Johnny Burke, m. Jimmy Van Heusen) - 4:29
B4. 不幸でもいいの "Glad to Be Unhappy" (Lorenz Hart, Richard Rodgers) - 4:07
B5. アイル・ビー・アラウンド "I'll Be Around" (Alec Wilder) - 3:23
B6. 恋路の果て "The End of a Love Affair" (Edward Redding) - 4:46 [mono CL 1157 only]
[Known personnel]
Billie Holiday - vocals
Ray Ellis - arranger and conductor
George Ockner - violin and concertmaster
David Soyer - cello
Janet Putnam - harp
Danny Bank, Phil Bodner,Romeo Penque - flute
Mel Davis, trumpet
J.J. Johnson, Urbie Green, Tom Mitchell - trombone
Mal Waldron - piano
Barry Galbraith - guitar
Milt Hinton - bass
Osie Johnson - drums
Elise Bretton, Miriam Workman - backing vocals

 1957年1月に行われた『ボディ・アンド・ソウル』1957と『アラバマに星落ちて』1958に収められるレコーディングで、1952年3月の『ビリー・ホリデイ・シングス(ソリチュード)』1952/1956以来の足かけ6年のビリーのクレフ/ヴァーヴ・レーベル専属契約は終わった。
 何種類かあるビリー・ホリデイ伝のうちもっとも簡潔な一冊では、クレフ/ヴァーヴの契約終了後のビリーについてシンプルに記述している。ビリーはフランス公演とその後のイギリス移住を計画していたが、フランスがアルジェリア戦争を開戦したため中止になってしまった。フランス公演のためにアメリカ国内のスケジュールをキャンセルしていたため、当面は定期的なクラブ出演の仕事も失ってしまう。
 それでも57年7月(アート・フォード・ショーとスティーヴ・アレン・ショー)や12月の特別番組「サウンド・オブ・ジャズ」などのテレビ出演は映像も残されただけに貴重で、アート・フォード・ショーでは女性ギタリストのメアリー・オズボーンとの共演、「サウンド・オブ・ジャズ」ではレスター・ヤングを含むオールスター・セッションが堪能できる。ライヴもフェスティヴァルの単発出演ならどうにかなり、カナダのストラットフォード・シェークスピア・フェスティヴァルのライヴ6曲(57年10月)が近年発掘されたが、当時ビリーの専属ピアニストだったマル・ウォルドロンのトリオだけをバックにしたそれより、80年代の発掘以来定評のある58年10月の第1回モンタレー・ジャズ・フェスティヴァルの発掘ライヴの方が全14曲、ウォルドロン・トリオにバディ・デフランコ(クラリネット)、ベニー・カーター(アルトサックス)、ジェリー・マリガン(バリトンサックス)が加わり、ビリーも快調なヴォーカルを聞かせる。

 ただ気になるのは、ビリー自身がこれまでの自分のアルバム中ベスト、というコメントとともに発表した最新作『レディ・イン・サテン』からはモンタレーでは1曲も取り上げていないことだ。専属ピアニストのウォルドロン以外はフェスティヴァル出演アーティストからのゲスト参加で、ビリーのステージならこれ、という定番曲ばかりなのはセッション的性格のライヴ出演上仕方なかったかもしれない。伝記ではこう書かれている。
「最後の二枚のアルバムは、レイ・エリスと共演した。彼のオーケストラは弦楽器が充実し、スタジオ向きだった。彼女はそれに心を魅かれて、特別に企画を依頼したのだったが、結果は不振だった。彼女の声には昔のような豊さや響きがなく、しゃがれ声で逃げ場のない絶望を歌う様子は耐え難かった。このセッティングは彼女にとって価値あるものではなかったし、以前のような確かさがほぼ失われた今となっては、もはや対処できなかった。違和感を生み出したのは、おそらくビリー・ホリデイとレイ・エリスの組み合わせだろう。彼女は『エリス・イン・ワンダーランド』を聴いて心魅かれた。それが問題の糸口である。エリスの音楽はまさに不思議の国のファンタジーで、ビリー・ホリデイの苛酷で辛く厳しい世界とは遥かかけ離れた夢の国だった。もし彼女が本当に『レディ・イン・サテン』を最上のレコードだと考えていたのだとしたら自分を欺いたことになるし、他のものと一緒に判断力まで失ったといえる」(バーネット・ジェイムス『ビリー・ホリデイ(1984)』塩川由美訳・音楽之友社)

 ここで「最後の二枚」と言われているのは『レディ・イン・サテン』と『ラスト・レコーディング』だから、一般にビリーの白鳥の歌であり名盤と名高いこれらに対して、伝記の著者の評価はずいぶん手厳しい。しかしビリー・ホリデイという歌手の生涯の業績では、初期のコロンビア時代(1933~1942)は文句なしに輝かしい。また、中期のデッカ時代(1945~1950)、後期のクレフ/ヴァーヴ時代もコロンビア後期から続く絶頂期から円熟期をとらえて聴きごたえのある作品群になっている。
 問題は、インディーズという環境からビリーがもっとも先鋭的な表現に傾いたコモドア・レーベルへのアルバム1枚分の録音(『奇妙な果実』1939・1944)と、メジャー・レーベル作品ながら単発契約で晩年に至って初めてアルバム単位でビリーが企画の主導権を握った『レディ・イン・サテン』と『ラスト・レコーディング』であり、ここで初めてビリーのセルフ・プロデュース能力が問題になってくる。
 おそらく『レディ・イン・サテン』でビリーはアルバムの音楽内容のみならず初めてアルバム・タイトル、ジャケットのアートワークまで決定権が与えられている。録音データからもそれがわかる。まず当然、録音順とアルバムの曲順は異なる。それから、曲ごとのマトリックス・ナンバーに注目していただきたい。まず録音順に整理する。

[Recorded at NYC. February 19]
C060460-4. You Don't Know What Love Is
C060461-6. I'll Be Around
C060462-2. For Heaven's Sake
C060463-2. But Beautiful
[Recorded at NYC. February 20]
C060464-5. For All We Know
C060465-9. It's Easy To Remember
C060466-2/3. I'm A Fool To Want You
[Recorded at NYC. February 21]
C060467. The End Of A Love Affair
C060468-10. Glad To Be Unhappy
C060469-4. You've Changed
C060470-7. I Get Along Without You Very Well
C060471-7. Violets For Your Furs

 このマトリックス・ナンバー(C060461-6ならC060461は曲番号、6はテイク6を表す)と録音日からわかるのは、2月19日には4曲、20日には3曲、21日には5曲が完成され、『恋路の終わり』にテイク数を示す枝番がついていないから1テイクか不詳かわからないが、他の11曲は最低でも2テイク(2テイク以上録音した中からテイク2が選ばれたこともあり得る)~7テイクの『あなたなしでも暮らせるわ』『コートにすみれを』、9テイクの『思い出はやすし』、10テイクの『不幸でもいいの』など、それまでのビリーの録音とは比較にならないほど入念に納得のいくまでテイクが重ねられているということだ。C060466-2/3のように、テイク2とテイク3を編集でつなげたものもある。
 しかもクレジットではコーラス2人を含む16人編成の上に、さらに最低4人のストリングス・セクションが加わっていると思われる。これはジャズではあるが、ジャズのもっともポピュラー・ヴォーカル寄りの楽器編成で、普段のクラブ出演ではピアノ・ベース・ドラムスのトリオか、せいぜい管楽器2~3人を加えたバンド編成で歌っているビリーにはよそ行きの企画だった。これまでビリーが吹き込んできた録音の9割以上がいわばバンドによるスタジオ・ライヴ形式で、ごく例外的にデッカ時代の『ラヴァーマン』などでオーケストラの伴奏で歌った企画があっただけだった。アルバム一枚まるまるオーケストラで通す企画は『レディ・イン・サテン』が初めてだった。アルバムの曲順に並べ直してみる。

[Side A]
A1.恋は愚かというけれど (2/20-3曲目・テイク2+3)
A2. 後生だから (2/19-3曲目・テイク2)
A3. 恋を知らないあなた (2/19-1曲目・テイク4)
A4. あなたなしでも暮らせるわ (2/21-4曲目・テイク7)
A5. フォー・オール・ウィ・ノウ (2/20-1曲目・テイク5)
A6. コートにすみれを (2/21-5曲目・テイク7)
[Side B]
B1. 心変わりしたあなた (2/21-4曲目・テイク4)
B2. 思い出はやすし (2/20-2曲目・テイク9)
B3. バット・ビューティフル (2/19-4曲目・テイク2)
B4. 不幸でもいいの (2/21-3曲目・テイク10)
B5. アイル・ビー・アラウンド (2/19-2曲目・テイク6)
B6. 恋路の果て (2/21-1曲目・テイク1または不詳)

 完全に録音順ではなく曲想の流れから配列し直されたことがわかる。A面のめりはりのついた緊密な構成、B面のリクエスト曲を並べたような良い意味での緩さ、ともに完璧な均衡を保っている。『バット・ビューティフル』の苦さ("But Beautiful"とは、たとえば"Life is sad,but beautiful."という風に使われる)と、それを受けた『不幸でもいいの』"Grad To Be Unhappy"の甘美さはどうだろう。先の伝記作者はビリーの声にはかつての豊さや響きがなくなった、レイ・エリスの夢の国のようなサウンドとビリーの苛酷で辛く厳しい世界が乖離している、と批判し、要は失敗作だと断じているが、むしろ『レディ・イン・サテン』はかつてのビリーを基準とすれば荒涼とした声と歌唱力だからこそ甘さに流れないバラード・アルバムになっているのではないか。
 だがA面の『恋は愚かというけれど』『あなたなしでも暮らせるわ』『コートにすみれを』、そしてB面の『思い出はやすし』~『恋路の果て』を聴いていると、見事なビリー流解釈を堪能しながら、この選曲には明らかな偏向があることに気づく。

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 (Frank Sinatra"In the Wee Small Hours"1955 - including "Glad To Be Unhappy","I Get Along Without You Very Well","I'll Be Around")
 つまりこのアルバムは、明らかにビリーと同年生まれの最大のライヴァル、フランク・シナトラを意識して制作されたことに間違いない。『レディ・イン・サテン』の選曲は全曲がビリーには初録音だが、シナトラの有名レパートリーをA1、A4、A6、B2~6と12曲中8曲も採り上げている。女性歌手にはビリーのライヴァルはいなかった(A3はエラ・フィッツジェラルドのレパートリーだが)。ビリーがクレフ/ヴァーヴ・レーベル専属となった翌年の1953年にキャピトル・レーベル専属となったシナトラはネルソン・リドル・オーケストラと組んで名作・傑作を連発、国民的歌手の座を不動のものにしていた。ゴードン・ジェンキンス編曲・指揮の『ホエア・アー・ユー?』1957からシナトラの歌唱はぐっと陰翳を加え、ビリーの『レディ・イン・サテン』と同年の『オンリー・ザ・ロンリー』1958では陰鬱なバラード路線は頂点を迎える。そしてビリーの『ラスト・レコーディング』と同年の『ノー・ワン・ケアーズ』1959では悲しみの中にぬくもりがこもった、より円熟した味わいのあるアルバムになる。この二人の大歌手の符合は興味深い。