人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Eric Dolphy - Here and There (Prestige, 1966)

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Eric Dolphy - Here and There (Prestige, 1966) Full Album : https://youtu.be/8M_ZMXyiweU
A1, A2 recorded on July 16, 1961 at the Five Spot, New York City ("Eric Dolphy and Booker Little at Five Spot" Outtakes);
B1, B1' recorded on April 1, 1960 at Van Gelder Studio, Englewood Cliffs ("Outwardly Bound" Outtakes);
B2 recorded on September 6, 1961 in Berlingske Has, Copenhagen ("Eric Dolphy in Europe" Outtake).
Released Prestige, PR7382, 1966.
(Side A)
A1. Status Seeking (M. Waldron) - 11:30
 Eric Dolphy - alto saxophone
 Booker Little - trumpet
 Mal Waldron - piano
 Richard Davis - bass
 Ed Blackwell - drums
A2. God Bless The Child (Billie Holiday/Arthur Herzog Jr.) - 5:16
 Eric Dolphy - bass clarinet
(Side B)
B1. April Fool (E. Dolphy)- 4:07
 Eric Dolphy - flute
 Jaki Byard - piano
 George Tucker - bass
 Roy Haynes - drums
(CD Bonus Track)
B1'. G.W (E. Dolphy) Take 1 - 12:11
 Eric Dolphy - alto saxophone
 Freddie Hubbard - trumpet
 Jaki Byard - piano
 George Tucker - bass
 Roy Haynes - drums
B2. Don't Blame Me (Jimmy McHugh/Dorothy Fields) Take 2 - 13:07
 Eric Dolphy - flute
 Bent Axen - piano
 Erik Moseholm - bass
 Jorn Elniff - drums

 プレスティッジは結果的には50~60年代ジャズの宝庫になったがそれはたまたまで、当時は才能あるジャズマンが掃いて捨てるほどいた。現代ならワンステージで管理職サラリーマンのボーナスほどのギャラには値するほどのジャズマンすら過当競争のあまり印税買い切りのパート以下の扱いでじゃんじゃんレコードを作らされていた。ジャズのアルバムは1作品あたりでは数百枚しか売れないが、数を出せばマニアがせっせと買うから質より量が求められた。このアルバム『ヒア・アンド・ゼア』は結果的に面白い性格の未発表曲集になったアルバムで、エリック・ドルフィーがプレスティッジ(ニュー・ジャズ)・レーベルと契約した初録音で初リーダー作の『アウトワード・バウンド(惑星)』(1960年4月1日録音)の未収録曲から、ブッカー・リトルとのクインテットのファイヴ・スポット・ライヴの未収録曲(61年7月16日)、そしてプレスティッジへの最終録音になったデンマークでの現地ジャズマンとの単身赴任コンサート(ジョン・コルトレーンクインテットのメンバーとして渡欧し、クインテットのツアー終了後居残っていた)が収められている。
 デンマーク・コンサートが61年9月6日だから、ドルフィーがプレスティッジと契約していたのは一年半(18か月)にすぎないが、その間にドルフィー自身のアルバムが11枚、主要ゲストとしての参加アルバムが6枚、ビッグバンド要員としての参加アルバムが1枚ある。18か月に18枚とは必ずしも月に1枚ではなく、ファイヴ・スポットのライヴもデンマーク・コンサートも1回の収録で3枚半(その「半」が『ヒア・アンド・ゼア』になった)のアルバムになったのだが、プレスティッジとの契約期間に他のレーベルにゲスト参加したアルバムが24枚(!)あり、自宅録音のプライヴェート・アルバム(『アザー・アスペクト』1987年発売)まである。プレスティッジでもオリヴァー・ネルソン『スクリーミン・ザ・ブルース』『ストレート・アヘッド』、ケン・マッキンタイア『ルッキング・アヘッド』、ラテン・ジャズ・クインテット『カリブ』、ロン・カーター『ホエア?』、マル・ウォルドロン『クエスト』などのゲスト参加作は実質的にドルフィー主役のようなもの。ちなみにドルフィー自身のプレスティッジ作品は『アウトワード・バウンド』『アウト・ゼア』『ファー・クライ』のスタジオ盤三部作、ブッカー・リトルとの『ファイヴ・スポット』三部作、『イン・ヨーロッパ』三部作にアウトテイク集『ヒア・アンド・ゼア』と『ダッシュ・ワン』で計11枚になる。『ダッシュ・ワン』は内容的に各三部作のボーナス・トラックに分散すればいいが、『ヒア・アンド・ゼア』はアウトテイク集とはいえアルバムとしてのまとまりがあるので『ダッシュ・ワン』から曲を足して単独アルバムとしてCD化されている。

 契約上他のレーベルからリーダー作は出せず(だから『アザー・アスペクト』はプライヴェート録音になった)、あまりにゲスト参加が多いので別名参加、匿名参加になることもあった。プレスティッジとの契約期間(1960年4月~61年9月)にドルフィーがプレスティッジ作品以外でゲスト参加したアルバム24枚中主なものを上げると、
チャールズ・ミンガス『プリ・バード』(60年5月)
・同『ミンガス・アット・アンティーブ』(60年7月)
・同『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』(60年10月)
・同『ミンガス』(60年10月・11月)
ジョン・ルイス『ジャズ・アブストラクションズ』(60年12月)
オーネット・コールマンフリー・ジャズ』(60年12月)
アビー・リンカーン『ストレート・アヘッド』(61年2月)
・オリヴァー・ネルソン『ブルースの真実』(61年2月)
ブッカー・リトル『アウト・フロント』(61年3月・4月)
・テッド・カーソン『プレンティ・オブ・ホーン』(61年4月)
ジョージ・ラッセル『エズティティックス』(61年5月)
ジョン・コルトレーン『アフリカ・ブラス』(61年5月・6月)
・同『オーレ!』(61年5月)
マックス・ローチ『パーカッション・ビター・スウィート』(61年8月)
 ……と、半数以上が60年~61年にかけてのジャズの記念碑的アルバムになっている。ここに上げなかったのはビッグバンドのアンサンブル要員だったり、オムニバス盤でアルバム中数曲に参加というものなので、要するにドルフィーは起用される先々で名演を残した。70年代以降の売れっ子スタジオ・ミュージシャンでもこれど集中的にあちこちで存在感を示したプレイヤーはいないだろう。一人のジャズマンが1年半のうちにこれだけの優れたアルバムのキーパーソンとなった例は空前絶後かもしれない。
 ところが、コルトレーンクインテットの一員として渡欧してツアー終了後に単身巡業したのは事情があった。帰国しても契約レコード・レーベルもなければ仕事の依頼のスケジュールもない。だから人気の高いヨーロッパで現地ジャズマンと臨時編成バンドでコンサート出演するしかなく、帰国後はジョン・コルトレーンチャールズ・ミンガスから仕事がまわってくるくらいしかなくなった。ドルフィーオーネット・コールマンのニューヨーク進出成功から勧誘されてロサンゼルスから進出してきたのだが、オーネットすら61年3月いっぱいでアトランティック・レーベルとの契約が終了すると契約レーベルがなく、62年~65年は一時的引退に追い込まれていた。ドルフィーの急逝は64年6月で、生前発売されたドルフィー自身のアルバムはプレスティッジのスタジオ盤三部作と『ファイヴ・スポットVol.1』の4枚きりだった。

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 (Original Prestige "Here And There" LP Side A Label)
 この『ヒア・アンド・ゼア』はドルフィーの急逝直後からプレスティッジがリリースしたファイヴ・スポット三部作の残り2枚『ファイヴ・スポットVol.2』『エリック・ドルフィーブッカー・リトル・メモリアル・アルバム』、完全未発表だったデンマーク・コンサート三部作『エリック・ドルフィー・イン・ヨーロッパVol.1』『Vol.2』『Vol.3』発表後に、まだ収録しきれなかった『ファイヴ・スポット』の残り2曲をA面に、さらにB面にはドルフィーのファースト・アルバム『アウトワード・バウンド』セッションでアルバム未収録になった『エイプリル・フール』(4月1日録音だったことからネーミングされた)、『イン・ヨーロッパVol.2』に収録されていた同曲の別テイク『ドント・ブレイム・ミー』が収められている。これらの組み合わせで『ヒア・アンド・ゼア』は偶然、ドルフィーのプレスティッジ録音の裏ベスト・アルバム的な統一感とヴァラエティの両方を兼ね備えたアルバムになった。
 マル・ウォルドロン作の『ステイタス・シーキング』は『Vol.1』の名曲『ファイヤー・ワルツ』同様『ファイヴ・スポット』前月の61年6月録音のウォルドロンのアルバム(ドルフィー参加)『ザ・クエスト』が初演で、白熱の『ファイヤー・ワルツ』同様こちらのライヴ・ヴァージョンの方が断然優れるスリリングなテイク。これとCD追加曲『G.W.』ではドルフィーはメイン楽器のアルトサックスをプレイしている。ウォルドロンは59年に亡くなるビリー・ホリデイの晩年2年間の専属ピアニストだったが、ドルフィーにとってプレイヤーはチャーリー・パーカー、ヴォーカルはビリーが最高で、『ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド』はビリーのオリジナル屈指の名曲を無伴奏バスクラリネット・ソロにアレンジしてライヴ演奏している。『イン・ヨーロッパVol.1』でもデンマーク・コンサートでのテイクが収録されているが、アレンジも演奏も衝撃的なほどの超絶技巧で、ドルフィーバスクラリネット演奏のショーケースになっている。

 B面に移ると、『アウトワード・バウンド』未収録曲の『エイプリル・フール』とCDにはやはり未収録曲集の『ダッシュ・ワン』からこちらに追加収録された『G.W』別テイクがあり、ともにドルフィーのオリジナル曲で、作風はセロニアス・モンク、パーカー、ミンガス、オーネットらと同系統だが1960年の時点では最前線のアヴァンギャルド・ジャズだった。『G.W』の本番テイクは『アウトワード・バウンド』冒頭曲になったが、ファースト・アルバムの巻頭のオリジナル曲としては最高の1曲で、この別テイクも本番テイクと遜色ない。本番の方は7分57秒で4分あまり短い。凝縮度の高いテイクを採用したということだろう。ドルフィーバスクラリネットとフルートを兼任するサックス奏者としても評判になったが(特にバスクラリネットはジャズでソロ楽器として使われた前例がなかった)、やはりメイン楽器のアルトサックスがもっとも融通無碍で奔放な演奏を聴くことができる。
 だがフルートの抒情的で爆発的な演奏もドルフィー以前(以後も)のジャズ・フルートでは聴けないもので、未発表曲『エイプリル・フール』でもユニークなプレイが聴け、やはりビリー・ホリデイのレパートリーからカヴァーした『ドント・ブレイム・ミー(責めないで)』は『イン・ヨーロッパVol.2』の採用テイクと甲乙つけがたい。これは採用テイクと別テイクでは30秒程度の長さの違いしかないが、『ヒア・アンド・ゼア』を締めくくるこのフルート曲があるので、1曲ごとのレヴェルは高いとはいえ実際は寄せ集めでしかないこのアルバムがドルフィーのアルトサックス、バスクラリネット、フルート演奏を多彩なシチュエーションでとらえたショーケース的・裏ベスト的な統一感とヴァラエティ感のある、アルバムとしての存在価値のある未発表曲コンピレーションにしている。プレスティッジは『ファイヴ・スポット』三部作、『イン・ヨーロッパ』三部作をリリースする時には残り曲をまとめると『ヒア・アンド・ゼア』(こことよそ、つまりニューヨーク録音とデンマーク録音)になるとは計算していなかったはずで、没後2年、収録曲の録音から5年あまり経って発売されたこのアルバムは発表後50年になる現在まで一度も廃盤にならずにロングセラーを続けている。36歳で売れないジャズマンのまま過労死したドルフィーにとっては皮肉きわまりないが、どの分野のアーティストでもよくあることではある。