人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Joe Gordon - Lookin' Good! (Contemporary, 1961)

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Joe Gordon - Lookin' Good! (Contemporary, 1961) Full Album : https://youtu.be/eGxxU-95MX0
Recorded At? Contemporary's Studio, Los Angeles; July 11,12 and 18, 1961.
Released; Contemporary Records S7597, 1961
All songs composed by Joe Gordon.
(Side A)
A1. Terra Firma Irma - 7:42
A2. A Song For Richard - 5:02
A3. Non-Viennese Waltz Blues - 4:20
A4. You're The Only Girl In The Next World For Me - 4:30
(Side B)
B1. Co-op Blues - 5:55
B2. Marianna - 4:09
B3. Heleen - 4:00
B4. Diminishing - 5:40
[ Personnel ]
Joe Gordon - trumpet
Jimmy Woods - alto saxophone
Dick Whittington - piano
Jimmy Bond - bass
Milt Turner - drums

 実は最近やっと入手して聴いたのだが、ジャズのアルバム・ガイド本にはまず出てこないこの作品、1961年7月の録音を念頭に置くと、60年代のメインストリーム・ジャズのスタイルを真っ先に提示したものとして、トランペッターならブッカー・リトルBooker Little』1960.4、フレディ・ハバード『Open Sesame』1960.6らニューヨークのジャズに対するロサンゼルスからの回答として(もっともニューヨークのレーベルは録音から発売までが長いから、61年7月にはどちらのアルバムもまだ発売前だったと思われるが)、ひょっとすると名盤のほまれ高いリトルやフレディのアルバム以上の出来なのではないか、とまで思わされる。リトルは1938年生まれ(61年10月急逝)、フレディも38年生まれ(2008年逝去)で、この2人はロサンゼルス出身のエリック・ドルフィー(アルトサックス、1928~1964)と組むことが多かった。ジョー・ゴードン(1928~1963)はボストン出身だが、ボストンのジャズ・シーンはニューヨークともロサンゼルスとも均等に交流があったので(シカゴともあったが)、同年生まれのドルフィーがニューヨークに進出したのと交換留学生のようにロサンゼルスのジャズ・シーンで本格的なプロ活動に入った。
 ただしゴードンが演奏活動を始めたのは早く、まだボストン在住だった1947年で、世代的にはビ・バップの最中になる。ボストンはジャズが盛んな町だったがそれは多くのリスナーやセミプロ・ミュージシャンがいたからで、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴのようにプロのジャズマンが活動拠点にできるほどの大都市ではなかった。ボストンでは5歳年上にチャーリー・マリアーノ(アルトサックス)とサージ・チャロフ(バリトンサックス)、1歳年下にセシル・テイラー(ピアノ)、3歳年下にリチャード・ツワージク(ピアノ)がいたが、青年時代の彼らは大都市から公演に来る最先端のジャズマンと交流しながらプロへの道を歩んだ。マリアーノとテイラー以外は非業の早逝(チャロフとツワージクはOD、ゴードンは公演先のホテル火災で事故死)を遂げているのも、アメリカでは古都に属するボストン育ちからジャズ界に入った無理が油断を生んだようにも取れる。長命だったマリアーノは自発的に国外亡命ジャズマンとなり、デビューも慎重だったテイラーは今も現役でマイペースな活動を続けているが、本国のジャズ界からは外れた位置に移ったことではマリアーノとテイラーは共通している。ボストン出身ジャズマンを調べると面白いのだが、今回はゴードンと関係したことにとどめる。
  (Original Contemporary "Looking Good!" LP Liner Notes)

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 ジョー・ゴードンの名前を知ったのは、ゴードンのオリジナル曲「A Song For Richard」を取り上げているアート・ペッパー(アルトサックス)の1976年のアルバム『The Trip』だったが、どこかで見かけたぞ、と手持ちのアルバムを探したらあった。セロニアス・モンクの『Thelonious Monk at the Blackhawk』1960で、レギュラー・カルテットにロサンゼルス現地のゲストでハロルド・ランド(テナーサックス)ともども参加しているトランペットがジョー・ゴードンだった。また、ホレス・シルヴァーのEpic盤『Silver's Blue』1956にもゴードンが半分のセッションで参加していた。また、これは後からだがチャーリー・パーカーの『Boston, 1952』1996はピアノの鬼才リチャード・ツワージク目当てに買ったのだが、トランペットがゴードンだったのでパーカーとの共演歴まであったのか、と驚いた。パーカーがベースはチャールズ・ミンガス、ドラムスはロイ・ヘインズの2人だけ連れてピアノやトランペットは現地ジャズマンを採用して巡業していた時期だが(その前年はピアノのアル・ヘイグだけ連れて巡業していた)、パーカー、ミンガス、ヘインズにゴードン、ツワージクだからすごい。この発掘アルバムはラジオ放送音源で、音質は万全、収録時間もたっぷりあり、パーカーの発掘ライヴでも安心して聴ける1枚だった。
 実はこれも最近買って気づいたのだが、ハロルド・ランドの『West Coast Blues』1960をギターのウェス・モンゴメリー目当てで買ったらゴードン参加作でもあり、バーニー・ケッセル(ギター)の『Some Like It Hot』1959をアート・ペッパー目当てで買ったらこれもゴードン参加と、実にあちこちに顔を出している。また本業はディジー・ガレスピー(トランペット)のビッグバンドを経てシルヴァーやアート・ブレイキーのサイドマンを勤め、ロサンゼルスに移ってからはシェリー・マン&ヒズ・メンのメンバーになった、と調べがついた。生前にリーダー作は2作きり、没後にゴードンの参加したジャムセッションのライヴ盤があるが、特にゴードンがリーダーというのではないので結局自作と呼べるのは2枚きりのジャズマンだったらしい。ウェスト・コースト・ジャズの研究書には2作目の『Looking Good!』を埋もれた名盤として上げてあった。「A Song For Richard」もこのアルバムの収録曲とわかった。この文章で「最近」と言っているのはだいたい15年前くらいを指しているので、YouTubeで試聴できる時代ではないから現物を買って確かめるしかない。そうして聴いた『Looking Good!』は、これがブルー・ノート・レーベルの作品だったら「幻の名盤」のトップクラスに上げられるようなアルバムだった。だがコンテンポラリー・レーベル盤が再発売されていても、これを名盤に上げるような声はちっとも上がらない。過小評価アーティストによる過小評価アルバムとはこういうのを指すのではないか。
(Original Contemporary "Looking Good!" LP Side1 Label)

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 このアルバムで特筆すべきは全曲がジョー・ゴードンのオリジナル曲であること、しかも佳曲揃いで作曲の才能をありありと示していることだろう。オリジナル曲を奨励したレーベルといえばブルー・ノートで、ブルー・ノート人気もジャズマンの自作曲がたっぷり聴けることにあるのだが、他のレーベルはオリジナル曲ばかりでアルバムを制作するのはリスクが高いのでオリジナル曲率はそれほど高くない。セロニアス・モンクチャールズ・ミンガスに続いてオーネット・コールマンが注目されたのはデビュー作から全曲オリジナルだったのが大きく、そのオーネットの初期2作を制作したのはコンテンポラリー・レーベルだった。ジョー・ゴードンのデビュー作はエマーシーからの『Introducing Joe Gordon』1955で、この第2作までリーダー作は5年以上間が空いている。ゴードンはその間、さまざまなバンドを経てシェリー・マン&ヒズ・メンのレギュラー・メンバーになっていた。第2作の計画がなされ、1年がかりで書き上げた新曲が『Looking Good!』の8曲で、デビュー作では全6曲中プロデューサーのクインシー・ジョーンズ作の2曲を除く4曲がゴードンの自作だったから、曲数では倍の自作曲を用意したことになる。楽曲スタイルはアップテンポのスウィンガーが3曲(A1,A4,B4)、バラッドが2曲(A2はミドルテンポ、B3はスローテンポ)、ブルースが2曲(A3はワルツタイム、B1はスウィンガー)と、見事なくらいにバランスがとれている。以下原盤ライナーノーツと、曲を聴きながら取ったメモからご紹介する。
 まずA1はゴードン夫人のイルマさんに捧げた曲で、ABA'B'C/8bars×5=40barsの短調の急速スウィンガーで、ライナー執筆のレナード・フェザーはクリフォード・ブラウン(トランペット、1930~1956)との類似を訊ねている。クリフォードがダウン・ビート誌の新人賞を取った時ゴードンはクリフォードに「あなたがもらうべきだ」と言ったというが、ゴードンにはクリフォードはファッツ・ナヴァロ(トランペット、1923~50)の再来に見えたという。ソロオーダーはトランペット(以下tp)→アルトサックス(以下as)→ピアノ(以下p)ときて、それぞれC8小節ではバック・リフがつく。それから8小節ずつドラムス(以下ds)とのかけ合い(8bars Change、通常8バースと呼ばれる)になる。この曲で早くも判明するのは、pとベース(以下b)、dsはタイトで優れた演奏を聴かせる。だがasはどんなものだろうか、とちょっと首を傾げてしまう。オーネットやドルフィーが登場してフリージャズ過渡期のスタイルのasが注目を集めていた時期だから起用されたものの、A1を聴くと下手にもほどがある、と驚かされてしまう。幸いなことにA1ほど支離滅裂なプレイは残りの曲では出てこない(それでもムードで保たせている感じだが)ながら、ブルー・ノートのアルバムにでもありそうなかっこいい佳曲A1はasのソロが足を引っ張ってしまった。ペッパーがゴードンと共演した時に何度も演奏したという名曲A2は、ゴードンが指導を受けたtp奏者のリチャード・ハーヴィッツに捧げた曲。アルバム中唯一tpにミュートをかけている。AA'AA'/8bars×4=32barsのバラッドで、この曲のasはまあまあなので(褒めすぎかもしれないが、『Let Freedom Ring』1962以降のジャッキー・マクリーンを思わせる)ホッとする。tp→as→tpと進んで、アドリブとEDテーマの区別があまりないEDで締めくくられるが、不自然さや唐突さはない。
(Original Contemporary "Looking Good!" LP Side2 Label)

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 A3は6/8のファストテンポのワルツタイム・ブルースで、ABC/12bars×2=24barsのテーマを持ち、tp→as→p→トッティ→EDと進む。ソロの受け渡しには8小節のAを挟む。この曲のasはなかなかで、その好調ぶりは続くA4ではアルバム中最良のプレイが確認できる。AA'BA'/4bars×4=16barsのマイナー・スウィンガーだが、先発ソロがasなのもリハーサル中に決まったのだろう。オーネットやドルフィーには似ていないが、この曲のソロだけ聴かされたら曇ったフラット気味のトーンといい、切羽詰まったリズム感のフレーズといい、62年以降のマクリーンと言われたら納得してしまう。だがasのジミー・ウッズは自力でこの奏法に達した訳で、それ以前のマクリーン作品から影響されているにしても61年の段階ではマクリーンはここまで到達していなかった。もっともasの後に出てくるゴードンのソロは、ほとんどピアノを休ませてbとdsだけをバックに吹いており、ウッズとの格の差を見せつける。B1は再びブルースだがこちらは普通の4/4拍子で、AA'A"/12bars×2=24bars、ソロオーダーはas→tp→p→4bars Change→ED。ソロのセカンド・コーラスにはバック・リフが入る。これもasは先発ソロで張り切る。また、pとdsは無名の人、bはチェット・ベイカー・カルテットを始め西海岸ジャズでは屈指の人だが、このピアノ・トリオのまとまりがアルバム全編で半端なく素晴らしい。B2は短調のワルツタイム・バラッドで、AA'BA'/8bars×4=32bars、ソロオーダーはtp→p→as→ED。ソロのチェンジごとに8小節のリズム・ブレイクをゴードンが吹く。これはdsが正確に戻る難易度が非常に高いが、難なくこなしている。
 B3はゴードンの1ホーンで、長調のスロー・バラッドでAB/8bars×2=16barsだが、E♭→Gm7→B7→E/Dと進行するオリジナリティの高いコード進行で、たぶんスタンダードには例がないだろう。テーマとアドリブの境目がわからないようなtpのソロが続き、1コーラスだけpソロがあり、再びtpに戻って終わるが、明確なテーマがあるのか、コード進行のみでアドリブだけを展開しているのか判然としない。それもこのコード進行ならありだろう。B4も前衛的にはならずに実験的なコード進行を試みた長調のファストテンポ・スウィンガーで、AA'A"A"'/8bars×4=32barsというリフだけのテーマだが、コード進行は短3度ずつ上がっていく、という転調で解釈するかモード(音階)で解釈するか自由度の高い曲になっている。コード進行はG7→B♭7→D♭7→E7と動いていく。bのジミー・ボンドはヴェテランだし、asのウッズとdsのミルト・ターナーもテディ・エドワーズ(テナーサックス)のアルバムを始め録音経験があったが、pのディック・ウィッティントンはこれが初録音だったという。ジミー・ウッズはコンテンポラリーからこの後2枚のアルバムを出し、第1作『Awakening!』1962ではゴードンも参加している。1963年11月、ホテル火災で事故死しなければまだまだ良いアルバムが期待できただろう。これだけの実力がありながら2枚のリーダー作しかなかったのは、ゴードンが激戦区ニューヨークではなく開放的なロサンゼルスのジャズマンだったからかもしれない。ともあれ、『Looking Good!』1枚でゴードンはいつまでも才能と早逝を惜しまれる存在になった。コンテンポラリーでなかったら、と思うより、ブルー・ノートやリヴァーサイドがゴードンに目をつけ勧誘しなかったのをむしろ不思議に思いたい。