人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Sun Ra - Other Planes of There (Saturn, 1966)

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Sun Ra - Other Planes of There (Saturn, 1966) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLQ37sYiv1CUa1HcVN6BmbXtF2v7Gs3jBV
Recorded at the Choreographer's Workshop, New York(the Arkestra's rehearsal space) in 1964.
Released by El Saturn Records KH-98766, 1966
All Songs by Sun Ra
(Side A) :
A1. Other Planes of There - 22:01
(Side B) :
B1. Sound Spectra/Spec Sket - 7:39
B2. Sketch - 4:46
B3. Pleasure - 3:10
B4. Spiral Galaxy - 10:01
[ Sun Ra and his Solar Arkestra ]
Sun Ra - piano
Walter Miller - trumpet
Ali Hassan - trombone
Teddy Nance - trombone
Bernard Pettaway - bass trombone
Marshall Allen - alto sax, oboe, percussion
Danny Davis - alto sax, flute
John Gilmore - tenor sax
Pat Patrick - baritone saxophone
Robert Cummings - bass clarinet
Ronnie Boykins - bass
Roger Blank - drums
Lex Humphries - drums
Tommy Hunter - engineer

 今回のアルバムはちょっと難物です。一応1961年~1963年にかけて録音された傑作群『Art Forms of Dimentions Tomorrow』『Secrets of the Sun』『When Sun Comes Out』『Cosmic Tones For Mental Therapy』『When Angels Speaks of Love』の延長線上にある曲もB面には収められていますし、シリアスな無調楽曲やテンポ・ルバートのフリー・インプロヴィゼーション曲もどのアルバムにもありました。ですが本作のA面全面を占める22分の大作アルバム・タイトル曲は格別で、前衛というものがあるなら徹底的にやってみようじゃないか、というくらい実験性を極めています。サン・ラの場合相当アヴァンギャルドでも必ずキャッチーな部分がありましたが、本作はリスナーを突き放してまでバンドの潜在能力ぎりぎりまでフリー・インプロヴィゼーションの限界に挑んだ観があり、最初に聴くサン・ラにはもっとも不向きなアルバムなのではないかと思われます。本作と次作『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One』1965、その次の『The Magic City』1965を三部作と見なせば50歳のサン・ラの到達点を示すものですが、普段のアーケストラの音楽はもっとリスナーに楽しさや親しみを与えてくれるものなので、素のサン・ラ・アーケストラを聴くなら前記の60年代前半の作品群や、以後のライヴ盤から上げれば学園祭ツアーの『Nothing Is』1966、ヨーロッパ公演からの『It's After the End of the World』1970、炎のエジプト公演三部作『Live in Egypt 1』『Nidhamu』『Horizon』1971、円熟の境地『Live at Montreux』1976などがお勧めのアルバムでしょう。娯楽性や情感、ユーモア、熱狂などがそこにはたっぷりありますが、本作からの三部作はシリアスに音楽性を追求して、本作ではやや生硬な面が『The Heliocentric Worlds~』では自在にこなれ、『The Magic City』では実験性と従来路線が馴染んでいます。その点では三部作の第1作に当たるだけに後の作品の試作・習作的な位置にあるのは仕方がありません。
 クオリティは十分高く、聴いて損するアルバムではありませんが、クラシック~現代音楽作品と同じく本来1回集中して生演奏で聴くべき音楽で、ポップス一般のようにくり返し聴いて、口ずさんだり体を揺らしながら楽しむ音楽とは言えません。もちろんそれは意図的で、A面はエンタテインメントではないシリアス・ミュージック、B面はシリアス寄りながらエンタテインメントでポップスの範疇に入りますが、どちらもサン・ラのジャズには違いないものです。またこれは、A面B面で48分を越えるこれまでのサン・ラ最長のアルバムにもなっています。力作だからスルーできないし、時おり気になり何度も聴き直すような作品ですが、サウンドの聞き取りで解説しようにもあまりにとりとめのないというか、楽曲形式やリズム構造、コード進行などありきたりな説明をしても焦点を結ばない音楽になっています。せめてB面だけならと思いましたが本作のサン・ラの本音はA面でしょう。ご紹介の残りは、英語版ウィキペディアの本作の項目の本文を全文全訳して載せておきます。英語版ウィキペディアでも60年代サン・ラのピーク直前の重要作としながら持て余し気味なのがわかります。
(Original El Saturn "Other Planes of There" LP Liner Cover)

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(以下英語版ウィキペディアより)
「緊密なアレンジがメンバー全員の強い結びつきによって実現しているが、まだ雑多な印象を受けるのは今後の課題だろう。金管木管楽器セクションがぎこちないワルツ・ビートの軽さを補強している。過去10年来に徐々に向上してきたレパートリーが今回は一段と良くなった。もしサン・ラの音楽に馴染んでいる人でもこのアルバムは刺激的で聴き飽きないだろう。『Other Planes of There』は自信を持ってお勧めできるコレクションと言える」(リンゼイ・プラナー、All Music Guide)

[ ザ・ニュー・シング ]
 この『Other Planes of There』が録音された直後に、画家でミュージシャンのビル・ディクソンと映画作家のピーター・サビノはニューヨーク西91番街のコーヒーハウス「ザ・セラー・カフェ」で連続コンサートの開催を始めた。6月15日の出演を受けたサン・ラのアーケストラは当時ファロア・サンダース(ジョン・ギルモアの代役で)とブラック・ハロルドをフィーチャーした15人編成になっていた。このコンサートとアーチー・シェップのコンサートを合わせた4日間は聴衆に「ニュー・シング」のフェスティヴァルと喧伝され、それはやがてフリー・ジャズという名称に定着する。広告もされず、また電力も切られた会場で、ディクソンはジョン・チカイ、セシル・テイラー、ラズウェル・ラッド、ジミー・ジュフリーら40組以上のアーティストを出演させた。主流ジャーナリズムが取り上げないうちに、それはジャズの新しい潮流としてじわじわと浸透していった。(ジョン・F・スウェッド『サン・ラー伝』)

 サン・ラ自身は常にアーケストラをフリージャズから遠ざけていた。「私の音楽は精度の音楽である。 私は正確に音楽を活気づけるリズムを知っており、このリズムだけが有効なのだ。そのように私は自分の音楽を完全にイメージしている」(前掲『サン・ラー伝』より)。だが、サン・ラはこれらのコンサートによって集まった新しい聴衆の関心から、非常に利益を得ることになった。 サン・ラ・アーケストラは新しく発足したジャズ・コンポーザース・ギルド(新しいジャズのムーヴメントを広く知らしめるための会)に加わることになり、1964年の冬には連続コンサートでますます注目を集めた。 ジョン・チカイ&ラズウェル・ラッド・カルテットと競演した1964年の大みそかのコンサートはザ・ネーション誌に批評記事が掲載された。
(Original El Saturn "Other Planes of There" LP Side A & Side B Label)

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「もし彼らに共感と評価を表明しようものなら、出鱈目やら難解やらまるで退屈と悪評に晒されているこうしたアーティストほど批評家にとって厄介な存在はない。……(サン・ラの思想は)音楽を味わう上では邪魔になる面もあるが、メンバーたちが木星着陸や火星の百合畑を音楽で描き出すのもその思想あってのことだ。サン・ラの説法が文学として通用するのはファミリーの中だけだが、それも音楽を成り立たせる要素としては有効に働いている。アーケストラのメンバーはアフリカの民族衣装をまとい、ステージの照明の中で瞬き続けていた。……そう、あなたもそこに居合わせるべきなのだ」(A・B・スペルマン、The Nation)

 この1964年12月の4夜に渡る祝日のコンサートは録音され、一部は後にライヴ盤『Sun Ra and his Arkestra Featuring Pharoah Sanders & Black Harold』として発売された。
 セラー・カフェのセッションには弁護士でエスペラント支持者であり、エスペラントの教則レコードを自主制作していたバーナード・ストールマンも聴衆のひとりだった。ストールマンは主宰するインディー・レーベル、ESPディスクをフリー・ジャズの新鋭をデビューさせる方針に定め、第1弾にアルバート・アイラーの『Spiritual Unity』を送り出した。そしてオーネット・コールマン、ファロア・サンダーズ、ファッグスのアルバムが続いた。 サン・ラがESPに録音したのは1965年4月20日のことで、それが『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One』だった。」
(以上英語版ウィキペディア全文)