人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン・誡(42)

 やあムーミン、と背後から呼ばれた声にムーミンパパは意表を突かれました。それまでムーミンパパは突然周囲に現れた花盛りの景色に、これもレストランの用意した何かのしかけなのかと妙に感心していたところでした。知っているぞ、とムーミンパパは思いました。いわゆるイリュージョンというやつだな。それはそうとして、他の連中はどうなってしまったのだろう。ムーミンパパはちょっと考えると、ムーミンパパには珍しいことですが、これは遮断された状態なのかもしれないぞ、と正鵠を得た判断にもう少しでたどり着いてしまいそうでした。そうならなかったのはムーミンパパの場合、当たると思ったことはたいがい外れだし外れと思ったことはたいがい外れるジンクスのようなものへの信頼が理性を上回っていたからです。これを損得勘定で考えると得をすると思ったことはまず得にならず、損を覚悟の上ならば必ずしも損ばかりではない、という楽観的悲観主義のようなちんまい打算にもかなうので、百戦錬磨の冒険家だったムーミンパパにしてみれば生きて帰ってこれれば御の字なので、ムーミン谷に持ち帰って感謝される宝など世界のどこにもありはしませんでした。
 そのように経験的に判断力の不確かさを身に沁みて体得していたムーミンパパですが、ちらっとよぎった考えは以前ジャコウネズミ博士やヘムレンさんの談話で教わった宗教思想におけるイメージ上の冥界で、異文化の冥界には川が流れ花が咲き乱れているといいます。川は見えないが花は真っ盛りだ、とムーミンパパは思いました。もしこれが冥界なら、おれは突然死んでしまったわけだ。だとしたら突然おれがひとりきりなのも説明はつく。ムーミンパパは周囲の花が実はみんな砂でできていて、物音ひとつ立てようものなら一度に足もとに崩れおちてくるように感じました。それは漏斗の底に溜まる砂粒のように自らは音もなく一瞬のうちにムーミンパパを埋め尽くしてしまうように思われました。私は妄想が過ぎるぞ、とムーミンパパはブルッと震えました。いくら何でもそんなに都合の良く心配が現実になるわけはありません。ですが心配事が切実ならそれも一種の現実なので、突然花盛りのなかに立ちすくむ自分を見つけたムーミンパパの反応とは何もできない迷子そのものでした。
 そんな時です、やあムーミン、と背後からムーミンパパに呼びかける声が聞こえてきたのは……それは聞き覚えのある声でした。