人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

村八分 - 村八分ライブ (エレック, 1973) ほか

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村八分BOX - LIMITED EDITION Trailer : https://youtu.be/G9EqrB0ISaw - 5:03
from 村八分BOX』Good Lovin' Productions, November 21, 2005

日本最高のロック・バンドはと訊かれたら結局、最高かはともかく村八分は絶対に落とせないのではないかと多くのリスナーが考えていると思われます。村八分の映像はボックス・セットの予告編にまとめられた上のリンクの5分ほどの8mm映像のコラージュ(音はライヴ音源から貼りつけたもの)がすべてになるそうですが、この短いライヴ映像だけでも特別な存在感が伝わってきます。
村八分は1971年に元ダイナマイツのギタリスト・山口富士夫(1949-2013)がローリング・ストーンズアメリカ・ツアーを観てきて帰国した京都のヒッピー、柴田和志(1950-1994)ことチャー坊と出会い、ローリング・ストーンズに匹敵するバンドを目標に結成されました。1972年には活発かつ当てにならないライヴ活動(スケジュール通りに出演した試しがめったにない、客とケンカする、演奏を始めても途中で止めて帰ってしまう、ライヴの出来不出来が激しく駄目な時の方が多いが時たま最高のライヴを観せる)など一躍話題のバンドになりましたが、1973年にはギャラをピンハネするばかりか勝手にメンバー・チェンジを行うチャー坊の独裁体制が強まり、特に浅田哲(ギター)との理想的な2ギター・アンサンブルが浅田の解雇によって崩壊後は山口富士夫も脱退を決め、すでに契約が決まっていたエレックレコードからのデビュー・アルバムで2枚組ライヴの『村八分ライブ』は臨時編成メンバーで解散コンサートを録音したアルバムになりました。

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村八分 - 村八分ライブ (エレック, 1973)
Recorded live at 1973年5月5日 京都大学西部講堂/解散コンサート
Released by エレックレコード ELW-3003, June 25, 1973
(A面)
A1. あッ!! : https://youtu.be/o4V0qq-aHUE -  5:00
A2. 夢うつつ : https://youtu.be/u3w8GbDfdMk - 4:07
A3. どうしようかな : https://youtu.be/Y2g5bnHb5b0 - 4:47
A4. あくびして - *no links
(B面)
B1. 鼻からちょうちん - *no links
B2. 水たまり : https://youtu.be/xKgl4cCAv9c -5:23 *reunion live movie
B3. のうみそ半分 - *no links
B4. 馬の骨 - *no links
(C面)
C1. ねたのよい - *no links
C2. ぐにゃぐにゃ : https://youtu.be/akSEp2M9oik - 4:28
C3. のびてぶぎー - *no links
C4. んッ!! - *no links
(D面)
D 1. どこへ行く - *no links
D2. にげろ - *no links
D3. どうしようかな (Take 2) - *no links
D4. 序曲 (Studio Instrumental) - *no links
[ 村八分 MURAHACHIBU ]
柴田和志 (チャー坊) - vo
山口富士夫 - guitar
加藤義明 - guitar
ミカゲ・エーイチ - bass
村瀬シゲト - drums

エレックレコードは解散を隠してアルバムをリリースしましたが村八分の解散は知れ渡っており、全盛期のライヴを観たリスナーには『村八分ライブ』は納得のいかない演奏であるばかりか山口富士夫本人も「本当の村八分ではない」とエレック盤への嫌悪を表明しています。アルバムからのギャラはチャー坊がすべてピンハネしました。『村八分ライブ』より前のライヴ音源が2000年代にまとめて発掘されましたが、浅田哲在籍時ではぎりぎり末期になる1973年の次のライヴ音源は山口富士夫の考える本来の村八分に近いのではないかと思われます。

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村八分 - むらさき : https://youtu.be/j2L3C0Z777E - 3:15
Originally Released from 村八分「Underground Tapes 1973 京都大学西部講堂Hagakure, 2003
Recorded probably early 1973
[ 村八分 MURAHACHIBU ]
柴田和志 (チャー坊) - vo
山口富士夫 - guitar
浅田 哲 - guitar
加藤義明 - bass
村瀬シゲト - drums

チャー坊は村八分解散直後から再度アメリカに渡り、アメリカ人の夫人を連れて帰国しましたが深刻な薬物依存に陥っており、80年代後半までを精神病院に入退院して過ごします。90年代になって、オリジナル・メンバーはチャー坊だけですが村八分は活動を再開、オリジナル村八分結成直後のスタジオ・ライヴ音源がミニ・アルバムとしてリリースされました。内容は、もしこれが1971年当時発表されていたら日本のロックの流れが変わっていたのではないか、と思われるほど衝撃的な作品でした。

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村八分 - 草臥れて(ゲイター・ウーブル・レコード, 1991)
Recorded at Studio, 大阪, Aril 30, 1971
1. どうしようかな - *no links
2. のんだくれ - *no links
3. くたびれて : https://youtu.be/QxZtU047KMk - 4:56
4. あやつり人形 : https://youtu.be/EcNe0boniHs - 3:56
5. ドラネコ : https://youtu.be/2pW1wzdGUWo - 4:46
6. あッ!: https://youtu.be/EQJ7jZejAtk - 3:49
[ 村八分 MURAHACHIBU ]
柴田和志 (チャー坊) - vo
山口富士夫 - guitar
浅田 哲 - guitar
青木真一 - bass
上原 裕 - drums

チャー坊の再結成村八分は大した注目もされず、活動は不規則で活発とは言えないもので、1994年にチャー坊はコタツに入ったまま心臓発作で急逝します。享年43歳、『村八分ライブ』からは20年あまり経っていました。チャー坊の逝去後は第一で活動している山口富士夫がオリジナル村八分の音源を監修することが可能になり、単独ライヴ盤5種、8枚組未発表ライヴ・ボックスがリリースされ、一長一短ありながら(『村八分ライブ』も解散アルバムならではの良さがあります)さまざまな時期・コンディションの村八分を聴くことができるようになりました。山口富士夫生前の最新リリースになった1971年のライヴは『草臥れて』より3か月早い、村八分最初期のライヴ音源にして録音状態、演奏ともに最良で、山口富士夫自身が「これでようやく本当の村八分が聴けるようになった」とライナーノーツに寄せた自信作でした。全面的に同感します。
ちなみに山口富士夫はニューヨーク・ドールズと交流があり「村八分と同じことやってた。奴らの方が頭良かったけど」と発言しており、ニューヨーク・ドールズのマネージャーがメンバーを集めて作った「ロンドン版ニューヨーク・ドールズ」がセックス・ピストルズですが、村八分の記事をよく載せていた「ミュージック・マガジン」誌はピストルズのデビューを「村八分のようなサウンド」と紹介、日本のミュージシャンもCharを筆頭にピストルズを「村八分じゃん」とピストルズのデビューは日本ではほとんど衝撃がなかったようです。つまり村八分とは、そういう存在です。

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1. 村八分 - ぶっつぶせ!: https://youtu.be/TvvVefeljdQ - 1:56(incomplete)
2. 村八分- 鼻からちょうちん : https://youtu.be/ZGp6GkYkZvk - 2:04
from 『ぶっつぶせ!!』2010年FJOレコーズ Exp A-001
Recorded Live in 北区公会堂, 東京, January 28, 1971
[ 村八分 MURAHACHIBU ]
柴田和志 (チャー坊) - vo
山口富士夫 - guitar
浅田 哲 - guitar
青木真一 - bass
上原 裕 - drums