人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Sun Ra - Interstellar Low Ways (Saturn, 1967)

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Sun Ra and his Myth Science Arkertra - Interstellar Low Ways (Saturn, 1967) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL9401A342344AEFD6
Recorded 1959 - 1960, Chicago
Released by El Saturn Records
Originally issued around 1966 on Saturn SR 9956-2-M/N "Rocket Number Nine Take Off For The Planet Venus". In 1967 it was given the catalog number 203 and reissued as "Interstellar Low Ways".
All Composed and Arranged by Sun Ra
(Side A)
A1. Onward - 3:31***
A2. Somewhere In Space - 2:56**
A3. Interplanetary Music - 2:24**
A4. Interstellar Low Ways - 8:23*
(Side B)
B1. Space Loneliness - 4:30**
B2. Space Aura - 3:08***
B3. Rocket Number Nine Take off for the Planet Venus - 6:14**
[ Sun Ra and his Myth Science Arkertra ]
(*on, March 6, 1959)
Sun Ra - gong
Hobart Dotson - percussion
Marshall Allen, James Spaulding - flute
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Pat Patrick - percussion
Ronnie Boykins - bass
William Cochran - drums
(**on, recorded at the RCA Studios, Chicago, around June 17, 1960)
Sun Ra - piano
Phil Cohran - cornet
Nate Pryor - trombone
Marshall Allen - alto saxophone, flute, bells
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Ronnie Boykins - bass, Space Gong
Jon Hardy - drums, percussion, gong
Ensemble vocals
(***on, recorded during rehearsals, Chicago around October 1960)
Sun Ra - piano
George Hudson - trumpet
Marshall Allen - alto saxophone, bells
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Ronnie Boykins - bass, percussion
Jon Hardy - drums

 本作はレディ・ガガがB3を改作して「Venus」という曲を歌っているほどサン・ラの初期代表作として浸透しているらしいアルバムです。本作はまず32分に満たないコンパクトな収録時間が素晴らしく、サターンはサン・ラ自身の自主制作レーベルで、サン・ラは60年代後半からは生涯年間数枚のアルバムを完全なセルフ・プロデュースでリリースしていました。流通はサン・ラの出演するクラブの会場販売や通信販売の他、黒人音楽専門店を通して市販されており、白人リスナーはよほど奇特なレコード店でしか手に入らなかったようです。サン・ラのアルバムは再演曲も多く、このアルバムで言えばA3、A4、B3は他のアルバムでも再三録音されています。エサターンはインディーどころか実質的にサン・ラの個人レーベルなので、ほとんどのアルバムが初回プレス限定でした。他のインディーズやメジャー・レーベルから再発売される場合もありましたが、サターンでは人気の高いアルバムがあるとそのまま再プレスするよりも(そのまま再プレスする時もありましたが)、人気曲の再録音と新曲を合わせてニュー・アルバムを出してしまいます。これは何もサン・ラがこすいからではなく、同時期に活動していたB・B・キングジェイムズ・ブラウンら黒人マーケットで人気の黒人アーティストでは普通のアルバム制作方法でした。サン・ラはジャズの世界では異端的存在でしたが、黒人大衆音楽としてはごくまっとうな活動をしていたとも言えて、ローカル・ミュージシャン時代が長かったために謎の存在になってしまったとも言えます。全国的なトレンドはあまり気にせずシカゴで独自進化してきたので、ニューヨークに進出してきた1961年にはよくわからない存在とされていました。それは実際、サン・ラの中には古いものと新しいものが他の同時代のジャズマンとはかなりかけ離れた発想で同居していたからでもあります。
 アラバマ州バーミンガムのローカル・ミュージシャン、ソニー・ブロウント(1914年生まれ)がイリノイ州の大都会シカゴに上京したのが1946年で、もう32歳になっていました。ソニーは徴兵忌避者で収監された時期もありましたが、その分音楽活動に穴を空けずに済ませられました。世代的には戦前のビッグバンド・ジャズの全盛期にジャズの世界に入った人になります。シカゴではリズム&ブルース歌手のバックバンドの仕事から始めて間もなくフレッチャー・ヘンダーソンのバンドと共演し、ヘンダーソン・バンドの代役ピアニストを勤める機会からヘンダーソンに勧誘され、すぐにアレンジの管理とダンサーを含めたバンドのリハーサル監督に抜擢されます。ヘンダーソンはキャリアの凋落期とはいえデューク・エリントンカウント・ベイシーに先立つ黒人ビッグバンド・ジャズの父であり、エリントンもベイシーもヘンダーソンのアレンジからバンドをスタートさせたほどです。またヘンダーソン・バンドはルイ・アームストロング、ロイ・エルドリッジ、ヘンリー・レッド・アレン(トランペット)や、コールマン・ホーキンスベン・ウェブスター、チュー・ベリー(テナーサックス)、シド・カレット(ドラムス)ら、後の黒人ジャズを背負って立つミュージシャンが歴代メンバーでした。のちサン・ラと改名するソニー・ブロウントはバンド加入前から手に入る限りのヘンダーソンのレコードを聴き込んでいました。流行遅れと見做されていたとはいえ、1920年代から活動していたジャズの父から学ぶものは大きかったでしょう。ですが1946年にはジャズの最先端はビバップを生み出し、シカゴ最先端ピアニストのレニー・トリスターノがニューヨークに進出してビバップ以降の前衛ジャズを打ち出した年でもあります。サン・ラは独立して自分のバンドを持った時、新旧両世代に足をかけることになりました。サン・ラのバンドがアーケストラ(Ark + Orchestra)とバンド名を定めたのが1955年、デビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra』がサン・ラ42歳の1956年録音ですから、サン・ラの背景を知らないと、このアーティストはいったいセンスが古いのか新しいのか、どんな発想に基づく音楽なのか、音楽的な狙いは何か、一聴して途方に暮れることになります。

(Original El Saturn "Interstellar Low Ways" LP Liner Cover & Side A Label)

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 この『Interstellar Low Ways』はサン・ラ&ヒズ・アーケストラのデビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』1956から始まる初期サン・ラ・アーケストラの音楽を知るには格好のサンプルですが、サン・ラはこのアルバムの制作時にすでに翌年のニューヨーク進出を計画していたとされます。この時のレコーディングはサン・ラ・アーケストラのRCAスタジオ・マラソン・セッションと呼ばれ、1960年6月17日前後にシカゴのRCAスタジオとホール・レコーディング・カンパニーで30曲~40曲が録音されました。その中から本作と『Fate In A Pleasant Mood』『Holiday for Soul Dance』『Angels and Demons at Play』『We Travel the Space Ways』の5枚のアルバムが編まれることになります。発売はシングルが先で「Space Loneliness c/w State Street」がまず発売され、「Fate In A Pleasant Mood c/w Lights on a Satellite」(60年7月8日発売)が続きました。またアルバム未収録曲「The Blue Set c/w Big City Blues」もあり、上記曲中アルバム未収録曲は現在エヴィデンス・レーベルからのCD『Singles』で聴けます。今でこそ録音データも判明し、作品の制作順にサン・ラのサウンド変遷を追うことができますが、サターン・レーベルは録音と発売順も良く言えば臨機応変、悪くいえば行き当たりばったりでした。翌年ニューヨーク初巡業したサン・ラは老舗インディーズのサヴォイから『The Futuristic Sounds of Sun Ra』を発表、これは当時最先端のフリージャズを明快にサン・ラ独自の手法で消化してみせたものでした。そうなると60年のRCAセッションからのアルバムは発売を見送って、新録音のフリージャズ系アルバムを優先発表することになります。それが結実したのが新興レーベルESPからの『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Vol.1』65で、同作でサン・ラは初めて国際的に注目されるアーティストになります。サン・ラ50歳の出世作でした。そこでようやく60年制作のアルバム5枚が65年~66年に渡って発売され、しかも録音データの記載が適当なため、ますますサン・ラは何をやろうとしているミュージシャンかわからなくなる、ということになりました。有能なマネジメントがいてサターン・レーベルがあったからこそサン・ラは多作できたのですが、むやみやたらに多作した結果全体像がつかみづらいアーティストになってしまった、ともいえます。またサターン・レーベルはサン・ラ自身のジャケット・アートワークのせいでますます敷居が高いものでした。このアルバムでも典型的なように、昔のB級SF小説の挿絵のようなシュールレアリスムもどきの汚いイラストばかりなのです。これが良い、と思えるようになったらちょっとやばそうな、後戻りできなくなりそうな胡散臭い雰囲気があります。
 音楽面では本作を聴くと、まずA1,A2,A4,B2あたりはチャールズ・ミンガスとの類似性があります。実際ミンガスを参考にしていたかもしれませんが、70年代までレギュラー・バンドを持てなかったミンガスに較べてサン・ラ・アーケストラ(ここでは7人編成)はいつもレギュラー・メンバーなので細かいアレンジが可能でした。ミンガスのようにパワーで押して行くサウンドではないので(60年代半ば以降のライヴではパワーで押す曲も増えますが)聴き流すと印象が薄いかもしれません。B1は50年代~60年代に流行したエキゾチック・ミュージック路線で、基本はライヴ・バンドだったアーケストラらしいレパートリーでしょう。コーラス入りのA3もエキゾチック路線で、こちらは強い印象を残します。コーラス入りはB3もあって、ディジー・ガレスピービバップ・ヴォーカル・クラシック『ソルト・ピーナッツ』を思わせる急速調ナンバーで曲自体はB2にコーラスを加えてロング・ヴァージョンにしたものですが、これもあれよあれよという間にソロのリレーがまわり、何だかわからないうちに終わってしまいます。特に1分40秒過ぎからはフリージャズそのもののドラムスとベースだけをバックにジョン・ギルモアのテナーが62年以降のジョン・コルトレーンを先取りしたパーカッシヴな奏法で光っており、実際コルトレーンはギルモアからの影響を公言しています。サン・ラ・アーケストラの1960年のニューヨーク公演はまだオーネット・コールマン進出前のニューヨークのジャズマンにショックを与え、特にギルモアのテナー、ロニー・ボイキンスのベースが注目されました。またサン・ラ・のピアノはラグタイムからブギウギ、ビバップ、フリージャズまで何でもござれで、ミンガスと親交が深いジャッキー・バイアードのプレイやミンガス自身が弾くピアノに似ていますが、サン・ラの方が10歳年長ですからこのスタイルはサン・ラ自身がシカゴで独自に編み出したものでした。全体を通して聴くとジャズには違いないのですが、何だかジャズとは違うものを聴いたような気がしてきます。それがサン・ラならではの味なのか、これをジャズから少しずれたものに聞こえるのが料簡が狭いのか、そんなことも考えさせられます。