人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

脱水症状で臨死体験

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 ようやく脱水症状でくたびれ果てた全身の痺れをほぐして布団から起き出してみたら、寝ているうちに知らずに舌の根元を噛んでいたらしく血液混じりの涎がシーツを汚していた。寝込んでいたのはおおよそ午後2時~午後8時の6時間、途中午後5時にすぐ近くの駅前広場の時報の鐘で一度目を覚ましている。その時にはすでに動けなくなっていた。昨夜の就寝時間は3時間弱。午前中に訪問看護士の吉田さん(25歳)の来訪問診を受けて、吉田が帰った後昼食を摂ってから急激に眠くなって横になり、間もなく脱水状態を来したらしい。午睡前半3時間(時報の鐘まで)で熟睡中に激しい脱水症状が進行し、後半3時間(時報の鐘以後)は脱水状態で動けないまま仮眠と覚醒をくり返していたとおぼしい。ただし午睡で睡眠不足が補えた分徐々に体力自体は回復して事なきを得た。舌を噛んだといっても多少の出血があっただけでそれほどの傷みはなく、夕食にも支障はなかった。タイトルは大げさだが実際は大したことはない。一応嘘タイトルではないのは追って書く内容による。

 吉田さんは昨日初めて『魔法少女まどか☆マギカ』テレビ版全12話を一気観して「面白かったです、もうラストは涙ボロボロで。キャラは私は杏子ちゃんが好き、さっぱりしてて」「小池さんはさやか推しと言ってましたよ、いじらしくてけなげじゃないですかって」「小池さんも観てるんだ(笑)」「もうすぐお嬢さんは1歳になるけど、元カノはコスプレーヤーだったとおっしゃってました」「それはガチですね(笑)」「杏子みたいなタイプがさやかみたいな性格の子を気にかけるのはアニメではともかく、現実ではどうでしょうか」「ありだと思いますよ」と吉田さん、「女の子のグループって、杏子ちゃんみたいな子がさやかみたいな子に特に気をつかって面倒見がいいっていうの、ありますよ。姉御肌っていうか」「なるほど、ほっとけないわけですね」「そうそう、好きだな、杏子ちゃん。始めの方まどかにはかなりイラっとしたけど(笑)」「そう思う人も多いみたいです(笑)」。エヴァンゲリオンみたいなところも確かにありますねと吉田さんも思ったそうで、話は飛んで新刊の『HUNTER×HUNTER』第34巻になり、クロロ対ヒソカ編だそうですよ、アマゾンに注文しちゃったから1~4週間待ちだけど今朝散歩したらコンビニに昨日まで品切れだった増刷分が入荷してました、と話すと「私絶対今日中に買います!」と吉田さん。問診ついでの雑談はそんなものだった。

 今朝方は案の定鬱につきものの早朝覚醒で、近所の駅前を一周し、昼食用のサンドイッチ(玉子のミモザサラダサンド)を作り、DVDで映画を1本観た。今はベルイマン全作品年代順鑑賞中だがそれはブログ用なので、全然関係ない戦前B級西部劇を観る。朝から十分に水分を摂取していたはずだが、昼食後横になってからの発汗量の方が上回ったらしい。また、複数種の精神安定剤の服薬もある。発汗が高まると薬物の血中濃度も高まるので、適度な濃度では精神状態の安定に有効な薬物だが適切な血中濃度を越えると劇薬に近い中毒症状が人体機能に生じてくる。過去に少なくとも2回は脱水症状が炭酸リチウム中毒を招いて全身麻痺に陥ったことがある。救急車で搬送され口も利けないどころか寝返りもできず、足先から手指までまったく動かせなかった。導尿カテーテルを挿され紙おむつをされて起き上がれるまでに24時間点滴を3週間受けた。意識があるのかないのかわからない状態で幻覚にひっきりなしに襲われ、時折はっきり覚醒してもどうにかして生きていたいという執着はまったくなかった。精神医学的に指摘され得る症状としても、本人にとって主観的には臨死体験と言い得ることがあるならば、あの時は確かに臨死体験をくぐった。あの時自分はもう死んでいて、その後は実は死んだ後の夢なのかもしれないと思うことすらある。

 他人の夢の話ほど詰まらないものはないので、もしこれが死人が夢の中で書いている話なら詰まらなくても仕方はないだろう。昨日の午睡で駅前広場の時報の鐘で一度目を覚ましてからなんとか起き上がれるようになった2~3時間はREM睡眠下の夢と幻覚でいよいよお陀仏の時が来たのか、と映画の幽霊ものコメディの導入部みたいな実に気の毒なことになった。いわゆる意識昏迷状態なので現実と幻覚の区別がつかないのは当然だが、まず脱水症状から回復しなければという判断がつかない。全身の倦怠感と痺れはもとより脳がギュッと搾られたような感覚で、頭痛というよりまともな思考ができないほどの拘束感がある。脱水症状だったんだ、ただそれだけのことだと気づいたのは、ようやく起きて冷蔵庫に作りおきしてあったアイスコーヒーを飲んでからだった。甘いコーヒーの糖分が脳を直撃するようだった。それから水とアイスコーヒーを交互に500c.c.ほど飲んだ。これだけのことが一旦目を覚ました時、なぜできず、思いつきもしなかったのだろうか。

 理由は簡単で、その時は起き上がれなかったからだ。駄目だ、起きられない、起き上がれるまで待とうともんどり打っている間に脱水症状は進行したが、睡眠不足はどうにか解消したのでフラフラになりながらも2~3週間かけて起き上がることは一応できるようになった。そんな昏迷状態なので幻覚と夢のどちらともつかないが、起き上がる直前に錯覚していたのはむき出しのフローリングの床に仰向けに寝ている状態だった。敷物も何もない床は固かったが手足を十分に伸ばして寝ていられるだけでも不服はなかった。枕もと(といっても枕はなかったが)に母が座っていた。母は45歳で亡くなった時より若かった。「カーペットくらい敷きたいわねえ」と母が言うので、うん、と適当に返事をした。特に話すこともない雰囲気だったからそのまま仰向けに寝ていて、いつの間にか起き上がれることに気づいた。そんな具合だった。

 キリスト教徒なのに枕もとに母が現れるとは汎アジア的原始信仰の名残が自分にもあるようで可笑しく、これでロケーションが川のほとりだったりすれば枯れ尾花もいいところだが、普段母を思い出すのはそれほど多くもないのに夢では結構出てくる。たぶん故人だからで、死別したのもまだ思春期の頃だから珍しくはないだろう。それを言えば数年前に死別した父も生前は長く没交渉だったが歿後には夢枕に立つようになった。死別した両親の夢や別れた妻子の夢を見ると夢の中では息が詰まり、目覚めると良かった夢で今のおれは一人だ、と胸をなで下ろすばかりだが、昨日の夢だって意味はあるまい。自己分析を待つまでもなく両親や妻子の夢は不安の反映に過ぎず、昨日は体調悪化が招き寄せたのがたまたま母だった、というだけのことだ。だが不肖の息子の危機一髪を亡き母が起こしに来た、とこじつければこれもコメディの一幕程度ではある。「どんな事があらうともみんな/死んだ母が知つてゐるやうな気がする。」とは高村光太郎の名作「母をおもふ」(昭和2年)の締めくくりの2行で、高村はこの時45歳、詩の2年前に母(享年69歳)を亡くしているが、高村のように父(「道程」)や母を発想することはできないぞ、と思う。せいぜいこの夏、今後は脱水症状に真面目に気をつけようと思う。