人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月21日・22日/小林正樹(1916-1996)監督作品(11)

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 ご当地映画はいつの時代でもたいがいは喜ばれるもので、'90年代以降は地方自治体をスポンサーにつけて映画製作しようというのがさかんですが、これは'70年代~'80年代に企業をスポンサーにして映画製作しようというのがバブル後には頭打ちになってしまったためで、映画会社が映画の興行収入で次々と新作を作れるだけの資金力がなくなってしまったことの表れです。そんな具合に田舎の街起こし映画ばかりが映画会社の資金繰りの頼みの綱になってしまった昨今ですが、実際ロケ地に親しんでいる映画を観ると嬉しいもので、須川栄三監督の遺作となった『飛ぶ夢をしばらく見ない』'90は残念な映画でしたが都庁建設に伴って行われた大々的な新宿南口近辺がロケ地になっており、当時筆者は新宿南口と代々木の間にある会社に勤めていて戦後の焼け跡バラックの痕を残したような新宿南口の変貌を毎日見ていたので、須川栄三の映画は贔屓したい気持でもきつい同作はロケ地の風景だけで忘れられない映画になりました。今回感想文を書く小林正樹の『いのち・ぼうにふろう』(キネマ旬報ベストテン第5位)は映画の設定は江戸時代の深川ですが、実際のロケ地は筆者が中学生や高校生の頃に学校をさぼってぶらぶらしたり女の子とデートしたりしたりぼーっと夕焼けを見て過ごしたりと10代の頃にさんざん親しんだ中洲のある広大な河原で、学生時代に観た時には知らなかったし気づきませんでしたが、今回DVDで観直して特典映像を観たらメイキングのフォトギャラリーにロケ地の解説があって初めて知って仰天しました。また今回観た次作『化石』(キネマ旬報ベストテン第4位)はフランス・ロケの撮影で前半2/3はパリを舞台にしており、これもフランス滞在、観光経験の有無でご覧になる方には相応の違いがあるのではないか、と海外旅行など本州から九州に行ったことがあるだけの筆者には想像されます。それほど今回は時代劇と現代劇、片や2時間なら片や3時間20分と長さも大きく違えばロケ地を取っても対照的な2作ですが、その分ご覧になる方によって見方もかなり異なる作品とも思われ、特に筆者は『化石』は今回が初めて観た作品なので二度目に観たらまた感想も変わるかもしれません。なお戦後監督である小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますから、時代相を反映した歴史的文献として、今回も感想文中に引用紹介させていただくことにします。

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●2月21日(木)
『いのち・ぼうにふろう』(俳優座映画放送=東宝'71)*121min, B/W・昭和46年9月11日公開

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 小林正樹監督作品には未DVD化作品が3本ありますが、前作『上意討ち 拝領妻始末』(三船プロ=東宝、昭和42年5月27日公開)に続く『日本の青春』(東京映画=東宝、昭和43年6月8日公開)は『からみ合い』'62以来の現代劇、しかも『この広い空のどこかに』'54以来のコメディ調ホームドラマで、キネマ旬報ベストテン第7位、カンヌ国際映画祭グランプリのノミネート作品と好評を得ながら、初公開以来ほとんど上映されず筆者も数少ない上映時に観る機会がなく未見の作品です。原作は遠藤周作新聞小説『どっこいショ』で、プロデューサーによって『日本の青春』と改題されたことに小林正樹自身も不満を持っているというのは、本作が藤田まこと主演の中年男が主人公の話で、徴兵経験を持つ主人公の心境が家族にも同世代者にも理解されなくなってしまった悲哀を防衛大学に進学しようとする息子への反対、息子の交際相手の同世代の軍需産業経営者社長との対立、妻の無理解と「『人間の条件』の主人公が生還復員して会社員になり現在父親だったら」という内容だからだそうで、コメディ調ホームドラマでもB/W、130分、シネマスコープというとこれも厚みのある作品を想像されますし、昭和元禄と言われた好景気の昭和43年の現代劇に戦争経験者の悲哀を描いた作品というと小林正樹がどういう仕上がりを見せたか未見なのが残念です。『日本の青春』が観られないでDVDで観直せるというと生誕100年の2016年に初DVD化された次作『いのち・ぼうにふろう』になり、これは昭和45年秋には完成していたのに「時代劇だから」という理由で1年間公開が見送られていた作品でした。予告編を観ると本作のためだけの大規模な屋外セットをロケ地に組んだ「渾身の大作」「感動の名作」とでかく謳っているのに実際は公開延期にしていたのは製作の俳優座映画放送ではなく配給の東宝の判断なのですからしらじらしいものですが、昭和45年というと大阪国際万国博開催年なので東宝は年1作のレギュラー化していたゴジラ映画すら同年は休止しており(ゴジラ映画の藤本真澄プロデューサーが万国博エキゼビジョン担当に忙殺されるという事情もありましたが)、東京オリンピック、大阪万国博は高度成長と戦後ベビーブーマー世代の成長による消費拡大にも一役買った大イヴェントでしたが映画が大娯楽産業だった時代はそのたび急激に衰退することになったので、事実上の大映倒産作品である命綱のガメラ映画シリーズが万国博施設整備を舞台にした昭和45年3月21日公開の『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(大映京都'70)であり、次作のシリーズ最終作で昭和46年7月17日公開の『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(大映=ダイニチ'71)は大映倒産後にダイニチ映画に縮小した会社がようやく送り出したものでした。昭和46年にはテレビシリーズ『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』が始まり、と戦後成人世代が生んだ児童層増大に対応したテレビでの児童枠の拡大も広がり、'70年代後半にはかつて気鋭の映画監督だった蔵原惟繕舛田利雄が『キタキツネ物語』や『宇宙戦艦ヤマト』ですから日本映画の企画は困窮を極めたと言ってよく、本作『いのち・ぼうにふろう』のあと小林正樹は『化石』『燃える秋』『東京裁判』『食卓のない家』しか監督作品を作れず、『化石』はテレビシリーズの総集編であり、『燃える秋』『食卓のない家』はスポンサーとなった企業の意向でDVD化もされなければ『食卓のない家』にいたっては上映許可すらされない作品になっている。寡作になりつつあったとはいえ順調に新作を製作できた最後の映画が本作だったとも言えるので、本作にしても独立プロでなく映画会社製作であれば撮影所のオープンセットを使って製作することもできたと思われ、現代では東京は埋め立てられていますから江戸時代の深川の中洲を中洲のある川と河原に探す、という苦労は作品の成果に実を結んでいますが、本作の製作もあと1、2年遅れていたら実現できなかったかもしれません。本作も公開時(一部加筆)のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 隆巴 / 原作 : 山本周五郎 / 製作 : 佐藤正之・岸本吟一・椎野英之 / 撮影 : 岡崎宏三 / 美術 : 水谷浩 / 装飾 : 荒川大 / 音楽 : 武満徹 / 録音 : 西崎英雄 / 音響 : 本間明 / 照明 : 下村一夫 / 編集 : 相良久 / 衣裳 : 上野芳生 / 製作主任 : 篠原茂 / 助監督 : 吉沢修己 / 記録 : 吉田栄子 / スチル : 亀倉正子 / 殺陣 : 湯浅謙太郎
[ 解説 ] 昭和四十四年七月、黒澤明木下恵介市川崑監督と「四騎の会」を結成した小林監督がならず者の世界に材を得て放つ時代劇。山本周五郎原作『深川安楽亭』の映画化。脚本は仲代達矢夫人で女優の宮崎恭子が隆巴(りゅう・ともえ)のペンネームで執筆。監督は「怪談」の小林正樹、撮影は「無頼漢」の岡崎宏三がそれぞれ担当。1971年10月16日全国公開。第45回キネマ旬報ベスト・テン第5位。
[ 出演 ] 中村翫右衛門 : 幾造 / 栗原小巻 : おみつ / 佐藤慶 : 与兵衛 / 仲代達矢 : 定七 / 近藤洋介 : 政次 / 岸田森 : 源三 / 草野大悟 : 由之助 / 山谷初男 : 文太 / 植田峻 : 仙吉 / 山本圭 : 富次郎 / 中谷一郎 : 八丁堀同心岡島 / 神山繁 : 八丁堀同心金子 / 滝田裕介 : 灘屋の小平 / 勝新太郎 : 男 / 酒井和歌子 : おきわ / 三島雅夫 : 船宿の徳兵衛 / 矢野宣 : 勝兵衛
[ あらすじ ] その「島」は四方を堀に囲まれていた。その千坪ばかりの荒れ地は「島」と呼ばれ、島と街を結ぶ唯一の道は深川吉永町にかかっている橋だけである。安楽亭は、その島にぽつんと建っていて、ここには一膳飯屋をしている幾造、おみつ父娘に定七、与兵衛、政次、文太、由之助、仙吉、源三が抜荷の仕事をしながら住んでいた。安楽亭は悪の吹き留りであり、彼らは世間ではまともに生きることのできない無頼漢だ。一つ屋根の下に寄り集りながら他人には無関心であり、愛情に飢えながらその情さえ信じない。ある日、男たちに灘屋の小平から抜荷の仕事が持ち込まれた。和蘭陀や唐から禁制品を積んだ船が中川へ入る。定七らが小舟で抜荷した品物は安楽亭に隠匿し灘屋が客に応じて運びだす。だが定七は小平に疑惑を抱いていた。前回の仕事で小平が手引した時、仲間が二人殺されている。しかも、新任の八丁堀同心岡島と金子が安楽亭探索に血眼だ。そんな時、定七と与兵衛は街で無銭飲食の果て袋叩きにあっていた質屋の奉公人富次郎を助けてきた。富次郎は幼馴染みのおきわと夫婦になろうとしていた。ところが、おきわの母親が急死すると、怠け者の父親は娘を女衒の権六に十二両で売りとばしてしまった。思いあまった富次郎は店の金を盗み、おきわを捜し廻ったが目的の果たさぬうち持ち金を使ってしまったという。数日後、与兵衛がおきわの無事を知らせてきたが、身代金として二十両いる。富次郎は、命を捨てても自分の力でおきわを助け出そうとした。安楽亭の無頼漢たちは、自分が人助けをする柄でないと思う。しかし、抜荷は自分たちがやらなくても誰かが運ぶだろう。が、おきわは彼らが助けなければ救い手がない。安楽亭の荒らくれたちは自分たちにはなかった夢を若者に託し、その愛を実らせようと、身の危険を冒して灘屋小平からの話を引受けた。しかし、彼らの行動を知っていたかのように、十三夜の月が川面を照らす中を抜荷を積んで安楽亭を目指す二艘の小舟を、捕手の群れが待ち受けていた。一方、以前この無法地帯にぶらりと入ってきて、住みついた男が富次郎に二十両を手渡した。昔、木場の材木屋にいたその男は、帳場に穴をあけて追われ、五年ぶりに江戸に帰ったが、その間妻子は生活苦で死んでいた。金のために妻子を殺した男は金を呪った。一方定七は満身に傷を負い一人捕手の群れを逃れて安楽亭にたどりついたが、それを追うように御用提灯の波が島を包囲した。
 ――前説はほとんど感想文ではなく'70年代初頭の日本映画界のおおざっぱな概観になってしまいましたが、小林正樹監督作品を順を追って観てくると助監督時代の'40年代末から監督昇進後の'50年代、'60年代、'70年代、'80年代と5代のディケイドに渡って活動した映画監督ながら、戦後映画の興隆とともに時代を画した作品を作ってきながら日本映画の衰退もまともに食らった印象を受け、平成8年に逝去しましたが監督作品は昭和60年が最後になってしまっている。本作『いのち・ぼうにふろう』は『切腹』『怪談』『上意討ち 拝領妻始末』に続く時代劇作品としては4作目で結果的に小林正樹最後の時代劇になりましたが、従来の日本映画の製作・配給システムで作られた作品としても小林作品としてはこれが最後になり、これまでの時代劇作品よりも一段と人情劇らしい情感あふれる映画になっているため、小林正樹が青年時代熱中したという山中貞雄(小林正樹は当然現存する山中貞雄作品3作どころではなく多くの山中貞雄の映画を観ているわけです)のような雰囲気があります。映画の主役は仲代達矢の演じる深川中洲の飯屋兼宿場の安楽亭に住み着いて抜け荷(禁制品の密輸)請け負いで稼いでいる無法者の定七ですし、定七は安楽亭を探りに来た同心を無言で刺殺するような無法者ですが、子供の頃に母親に捨てられ成人して母親を探し女郎になっていると知って斬ってしまったあとで母親という確証がなかったのに悔いており、河原で怪我をした小雀を拾って見捨てておけず鳥かごを作るも小雀は死んでしまい墓を作ってかごをかぶせてやる、という男です。定七や与兵衛(佐藤慶)らの無法者たちいいなずけの娘(酒井和歌子)を女郎に売られそうになって奉公先から抜け出すも金策で行き詰まっている青年の富次郎(山本圭)の恋を叶えてやるために、罠が張られていると知りながら決死の仕事に向かう、というのが人情劇たるゆえんですが、山中貞雄作品のレギュラー俳優だった中村翫右衛門安楽亭の主人で娘(栗原小巻)とともに定七たちを見守っており、さらに富次郎と同じ晩に安楽亭に転がりこんできて飲んだくれている食客(勝新太郎)がクライマックスでは正体を明かし許婚の請けだしや奉公先から抜け出してきた分も足りる所持金全部を富次郎にくれてやり、予想通り罠だった抜け荷に失敗した安楽亭の無法者たちは富次郎を逃がすために主人ともども同心たちに包囲されて討ち死にし、定七とともに逃げる決意をして中洲を出ていた栗原小巻が廃墟になった安楽亭跡の中洲に戻ってきて小雀の墓に手を合わせているのをいいなずけを連れた富次郎が訪ねてきて河原から見つけた場面で映画は終わります。現存する山中貞雄の3作『丹下左膳餘話 百萬両の壺』『河内山宗俊』『人情紙風船』の後2作を思わせるような人情時代劇ですが『切腹』『上意討ち 拝領妻始末』のような武家社会の話ではなく本作の主人公はアウトロー集団の中のリーダー格で、安楽亭主人が理解者になって無法者たちを庇護しており、その娘が無法者たちを弔い無法者たちが命がけで力を貸した不幸な恋人たちが結ばれる、と救いのある結末になっています。『赤ひげ』や『どですかでん』同様に山本周五郎原作であることで本作も黒澤明の後を追っているという評があったことから本作以降小林正樹は時代劇の企画に乗らなくなったともされますし、『切腹』や『上意討ち 拝領妻始末』に較べると甘い人情時代劇なのは確かですが、こういう平易で素直な情感にあふれた作品も決して悪くないもので、無法者たちが純粋な恋人たちの不幸な恋に命をかけて尽くすとはまるで戦前の人情時代劇のように古風なのですが、本作は変則的な時代劇ばかりを手がけてきた監督があえてそういう古風な作品に挑んで充実した成果を示した佳作であり、しみじみした感銘の残る一作です。主要登場人物が多く平行プロットの運びがクライマックスにつれてややごちゃごちゃしていたり、勝新太郎の人物像についても十分な伏線なしにクライマックスで重要な役割を果たすことになったりと構成はやや緩いのですが、本作のような作風ではその程度緩い方が結果的には作品に開放感をもたらしているような気もします。

●2月22日(金)
『化石』(俳優座映画放送=四騎の会=東宝'75)*201min, Color・昭和50年10月4日公開

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 小林正樹監督はフリーになった昭和44年(1969年)に黒澤明木下惠介市川崑と監督4人のプロダクション「四騎の会」を結成しますが、このプロダクションは監督それぞれの事情やスケジュールから当初構想していたような監督4人の共作や持ち回りの作品製作にいたらず、小林正樹の前作『いのち・ぼうにふろう』も四騎の会ではなく俳優座の製作になりました。四騎の会は昭和47年('72年)1月~7月にフジテレビ製作の毎週月曜・56分枠の「四騎の会ドラマシリーズ」を委託され『でっかい母ちゃん』(川頭義郎監督、全4話)、『化石』(小林正樹監督、全8話)、『ただいま浪人』(市川崑演出、全11話)、『眠れ愛子よ』(中村登監督、全6話)を放映しましたが、木下惠介は最初から別の映画作品のため無理で、黒澤明は監督予定でしたが間に合わず、木下門下生出身の松竹監督の川頭義郎のあと予定していた黒澤明が間に合わずくり上げで小林正樹が監督を勤め、市川崑と続き、黒澤が最後まで間に合わなかったので木下と同期の松竹監督の中村登が呼ばれる、という調子でした。小林正樹のテレビシリーズ版『化石』の放映は1月31日から3月20日までで、全8回ですからテレビ放映版は7時間28分(448分)におよびます。小林正樹は当初から劇場公開作品に再編集するつもりで撮っており、フィルム時代のテレビ映画ですから16mmフィルム撮影ですしテレビシリーズ8回分の予算で撮影されましたが、テレビ放映から2年経ってようやく劇場版の編集に着手し、音楽や音響始めサウンドはほとんど差し替えてナレーションを大幅にダビングし、国内での一般上映は3時間21分(201分)で現行版リマスターDVDも同一ですが、2015年にはカンヌ国際映画祭で先行招待上映された時の3時間38分(218分)版も発見され衛星放送でテレビ放映されており、そちらは未見ですしテレビシリーズ版も観ていませんが(おそらく画質保持のためオリジナル・ネガ自体を編集したと思われるので、全編が残っているとしてもポジフィルムが限度でしょう)小林正樹自身はナレーションを多用した劇場公開版をもってして完成作品と見なしているので現行版DVDで観られる劇場公開通りの3時間21分版で本作を決定版としていいと思います。保養先のヨーロッパで身体の不調から死期を知った初老の会社社長(佐分利信、1909-1982)が、未知の女性(岸恵子、1932-)との出会いから人生を振り返り人生観が変わっていく、という本作は主人公は初老、ヒロインは中年とはなはだ渋い映画で、公開時高い評価を受けましたし大人の映画を作ろうという意欲も大いに感じられるものですが、主人公が裕福で生活に余裕のあることが前提でないと成立しない物語であるのと、原作由来としてこの原作を小林正樹自身が大変高く買っているようには人間性の洞察や想像力において優れた原作とはどうも思えません。筆者は本作を観るのは今回DVDで観たのが初めてですが、長いのは気にならないにしてもエンドロールが流れてきた時にはえーっこれで終わりなの?と拍子抜けしてしまいました。小林正樹はこのあと井上靖原作の『敦煌』の映画化を宿願にしていて井上靖の小説を愛読し人物も尊敬していたそうですが、井上靖にはまったく興味のない筆者としても映画に真実性があり豊かなイメージにあふれていればともかく、『化石』の場合はそもそも映画にして成果のあるような内容ではないという感じがします。本作も公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 稲垣俊・よしだたけし / 原作 : 井上靖 / 製作 : 佐藤正之・岸本吟一 / 撮影 : 岡崎宏三 / 音楽 : 武満徹 / 録音 : 奥山重之助 / 照明 : 大西美津男 / 編集 : 浦岡敬一 / 助監督 : 小笠原清
[ 解説 ] 不治の病にかかり死を宣告された男が、ヨーロッパを旅しながら新めて生と死を見つめ直す、という井上靖の同名小説をテレビ・ドラマ化し、映画に再編集した作品。脚本は稲垣俊と、よしだたけし、監督は「いのちぼうにふろう」の小林正樹、撮影は「吾輩は猫である」の岡崎宏三がそれぞれ担当。
[ 出演 ] 佐分利信 : 一鬼太治平 / 小川真由美 : 長女・朱子 / 長谷川哲夫 : その夫 / 栗原小巻 : 次女・清子 / 早川純一 : その夫 / 杉村春子 : 一鬼の義母 / 中谷一郎 : 一鬼の弟・泰助 / 岸恵子 : マルセラン夫人 / 岸恵子 : 喪服の同伴者 / 井川比佐志 : 船津 / 山本圭 : 岸昭彦 / 佐藤オリエ : その妻 / 宇野重吉 : 矢吹辰平 / 宮口精二 : 須波耕太 / 小山源喜 : 堀川大六 / 神山繁 : 木原 / 近藤洋介 : 城崎 / 滝田裕介 : 一鬼建設専務 / 稲葉義男 : パリ駐在商社員 / 三戸部スエ : 一鬼家の女中 / ナレーション : 加藤剛
[ あらすじ ] 一鬼建設社長の一鬼太治平は、仕事一筋に生き、男手一つで育て上げた二人の娘を嫁がせ、生まれて初めて仕事を離れ社員の船津を連れて保養のためにヨーロッパへ旅立った。ある日、パリでふと美貌の日本女性と出会ったが、話しかけることもなく通り過ぎた。その女性が、ヨーロッパ支社のパーティの席上、マルセラン夫人であることを知った。一鬼は体の異変に気づき船津の勧めもあり、医者に診てもらった。数日後、船津あてに、病院から診断の結果を知らせてきたが、一鬼は自分を船津だと偽って聞いた。癌だった。あと一年しか生きられない。慟哭する一鬼。二、三日して落ち着きを取り戻した一鬼は、若い日本人の岸夫婦に、パリ近郊のブルゴーニュ地方にあるロマンの寺の見物をすすめられた。この見物には、意外な事に岸夫婦が親しくしているマルセラン夫人も一緒だった。靄に煙る沿道、歴史を経た建物。そして、一鬼が死を意識する度に喪服の同伴者が現われ、彼と内面の対話を交す。やがて帰国した彼は、癌で一カ月後には死ぬという友人・須波を見舞った。その須波に一鬼は一年後の自分を見るような気がした。久し振りに一鬼は義母を訪ねるが病気の事は告げず、ふたたび仕事にうち込み始める。だが、今度は、以前と違って常に死を意識しながらの生活である。やがて、一鬼の体の異変に気づいた娘たちのすすめによって、手術を受けるが、思いがけなく成功してしまう。既に死を覚悟していた一鬼にとって、ロマンの寺もパリの寺院も過去の全てが「化石」としての存在でしかなくなっていた……。
 ――俳優たちはほとんど中年以上のヴェテランが揃っていますし、その点で主演の佐分利信を始めとした俳優たちの存在感で本作はかろうじて映画らしい緊張感を保って進んでいきます。また本作は『黒い河』までの作品同様ほとんど20年ぶりにスタンダード・サイズで撮られており、これは当時のテレビがスタンダード・サイズ(4 : 3)だったためで最初から劇場用作品として撮影されていれば『人間の條件』から『いのち・ぼうにふろう』同様シネマスコープか、'70年代以降テレビ放映との互換性も考慮して主流になったヴィスタサイズだったかもしれませんが、スタンダード・サイズはクローズアップに向いた比率なので本作の内容には適しており、スタンダード・サイズを生かした構図も画面の緊張感を保っています。しかしそれ以上のものはというと、俳優がドラマの作中人物を演じている俳優にしか見えてこないので、存在感といっても演技を観ている次元の存在感であって、早い話がテレビドラマの次元で作り話を見せられている感じしかしてこない。テレビドラマシリーズの総集編以上でも以下でもなく、出来不出来を越えて映画ならではの密度のほとんど感じられない、連続ドラマの総集編でしかないものになっている。映画とは見終えたあと描かれた人物たちの人生が凝縮されたような実在感を持って迫ってくるようなもので、出来が悪かろうと荒唐無稽であろうとそういうフィクションを現実以上に強引に真実性を帯びたものに変えてしまうのが映画の強みだったはずです。しかし本作に流れているのは現実の生ぬるい時間感覚で描かれた俳優たちの達者な演技でしかなく、映画はたぶん原作通りに余命宣告を受けた初老の男が人生を回顧し人生観の変化を覚え、そののち治療の成功による健康の回復に変化したはずの死生観までが「化石」になったように感じる、というのを俳優たちが演じスタッフたちが撮影しただけの印象しか残らないようなものです。全編にかぶさるナレーションも監督が自負するような効果ではなくかえって映像への集中を妨げるような説明過多に陥っており、何より本作には観客の想像力やイメージを喚起させる性質がなく、見せられた映像とサウンド(ナレーション)で完結してしまって特に演技や演出、撮影に手抜かりはないためなおさらつまらない話を見せられた気にさせられます。優雅に好きなだけヨーロッパ旅行もしていられれば美女とデートもしたい放題で、その気になれば経済的な負担も考えず最新最高の治療も受けられる(そして治る)主人公、という境遇の人物の話ですからそもそも面白くしようがない中年男向けハーレクイン・ロマンスのような原作小説を観光映画的興味だけでテレビドラマ化したものとしか思えず、これを劇場版総集編にしてもテレビドラマの域を出なかった作品で、作り手の方は丁寧に作った自負はあっても他に新作が作れなくなった苦肉の策としか思えず、本作がキネマ旬報ベストテン4位になった'70年代半ばの日本映画の状況が思いやられる作品です。今回DVDで初めて観た感想は以上ですが、少し時間を空けて観直したらまだしも良い所が見つかるかもしれません。またこういう作品を3時間21分観るのが苦にならないのは良いのか悪いのかよくわからない気もしてきます。