人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

三大プログレ番長外道編

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プログレ入門編シリーズもついに外道編まできた。上からソフト・マシーンソフト・マシーン」1968、ホークウィンド「宇宙の祭典」1973、ロキシー・ミュージック「カントリー・ライフ」1974、見事にジャケットはバラバラである。同じジャンルのバンドとは思えない。
じっさいソフト・マシーンのファンはホークウィンドとはまったく重ならず、ロキシー・ミュージックのファンは他のどちらのバンドにも退屈するだろう。ところがこの三バンド、微妙にねじれたつながりがあるのだ。それにセールスや人気も五大バンドや三大裏番長に劣らず高かった。
それでもさすがにホークウィンドは一発屋と考える人が多かったようだ。「宇宙の祭典」は全世界のヒッピーが一家に一枚というライヴの名盤だが、当時のホークウィンドは電子ノイズ担当が2名(キーボードではない)、バンド専属ストリッパーのステイシアさんまでいた。当時来日の話があったのだがストリッパーをバンドメンバーとするのは法規上無理があるとの理由で実現しなかった。
「宇宙の祭典」は初期ホークウィンドの総決算になったが、同時にノイズがピュンピュン鳴りストリッパーが舞い踊る、というスタイルにも限界が来てしまった。そこでノイズ2名とステイシアさんをクビにし、実力派を新たなメンバーに迎える。そうして出来上がったのが名盤「絶体絶命」1975で、やれば出来るじゃないかと皆な思った。だけどどこかで聴いたようなサウンドだぞ。なんだ、ロキシー・ミュージックの「カントリー・ライフ」じゃないか(この路線もすぐに方向転換してしまうが)。
元々バンド内にノイズ担当メンバーを入れる、というのもロキシーが始めたことだった。リフ一直線の曲造りだって似ていたのだ。ただロキシーが元祖ヴィジュアル系だったのにホークウィンドはヒッピーだったというのにすぎない。
ロキシーキング・クリムゾンのオーディションを落ちたリーダーが始めたバンドだが、ソフト・マシーンのオーディションでも落ちただろう。実はマシーンこそがプログレ五大バンドも一目置く、どころか特にピンク・フロイドがライバル視し続け、クリムゾンが無視を決め込む大裏番長なのだった。初のアメリカ公演がジミ・ヘンドリックスの前座、次は何とマイルス・デイビスを前座にアメリカ公演してしまった。羨望も無理はない。