人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アナザー・グリーン・ワールド

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上はもとロキシー・ミュージックでノイズ担当ブライアン・イーノの「アナザー・グリーン・ワールド」1975、中はヴァン・ダー・グラフ・ジェネレイターのリーダーのソロ・アルバム、下はクラシカル・プログレルネッサンス「お伽噺(ノヴェラ)」だが、なんの脈絡もなく載せてみた。ジャケット・アートとして見ればぼくにはどれも可愛い。イギリス風のテイストに鈍感なぼくにもたまにはいいな、と思うものがある。たまに、だけど。
午前0時をまわって2篇のブログ原稿を投稿し、カレンダーに今日の訪問者数をメモする。最近は30人~40人の間で、週に2、3日100人近い日がある。相手先のブログもきちんと読んでくるので2度も来てくれた人ならだいたいプロフィールは頭に入っている。
私生活に転機を迎えたり、トラブルを抱えている人の場合はやはり気になる。ぼくは家庭を失っているので、不思議な気持でいろいろなひとたちの家庭生活エッセイを読む。ぼくは幸福を基準に生きていないので、たくさんの人が幸福を(または不幸を)生きている価値に定めているのにおどろく。
自分ではさほどいつもと異なる記事を載せたつもりはないが、励ましのコメントが集中することがある。メンタル・クリニックで話すと主治医は一笑して、またか、といった調子で、
「母性本能に訴えるところがあるんだよ。だから…」主治医はここ2年のぼくの女出入りを知っている。
ブログでやりとりしている女性からもほぼ同時に、
「女が放っておけないところがあるんですよ」
と言われてしまった。うぬぼれととるまい。なにしろぼくと同年代の男性主治医から見ても「女性の母性本能をくすぐる男」(精神科医がこんなアバウトな発言していいのだろうか?)と思われているのだ。母性本能?
そういえば、ぼくをはげましてくれるコメントはなんとなくお母さんやお姉さん(ぼくより年少のかたがた、既婚者もいれば独身もいる)みたいな文面ばかりだった。ぼくは母性本能なんていうあいまいな概念を信じないが、実体として自分に示されたいたわりを総称として母性本能の発露とするならば、母性本能の存在を信じないわけにはいかない。
それに、幼児だった頃に娘たちを育てていた時のあの感情!娘たちの誕生と共にぼくはささやかなもの、穏やかなもの、やさしいものの味方になったのだ。
ぼく自身が子供なのだ。