人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

『都会で聖者になるのは大変だ』

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タイトルはブルース・スプリングスティーンの1stアルバム「アズベリー・パークからの挨拶」1974の掉尾を飾る名曲から(ぼくだってプログレばかり聴いているのではないのです)。ちょうどいい具合に精神疾患と詩について質問をいただきました。不充分ながらお答えしたいと思います。

まず躁鬱病の周期についてお答えします。
必ずしも病気自体が原因で症状がめぐってくるのではありません。日常生活の中で悪化を引き起こすストレス源が2年~5年に一度はある、と考えてください。人間関係、生活環境の変化、近親者との死別、等々。それを避けるのは難しいことです。そしてそれがきっかけになります。
ぼくの最初の鬱→躁も知人の自殺がきっかけでした。次は自分だと思いました。浪費や自暴自棄な言動はその現れでした。他人の不幸ですら(だからこそ)たまらなくつらいのです。
今年も前半は入退院や生活の立て直しで過ぎ、夏に虫垂炎で短期の入退院をした後は教会や画廊、メンタル疾患者の集いなどどこにも顔を出さなくなっています。どこでもぼくは自分の経歴や疾患を明かしていますので、よけいに親切にされます。それがいっそうつらいのです。
毎日を人目につかずにすごすのは、自分でもたいして楽しいことではありません。ただ自分が刺激と感じることから遠ざかっていること。服薬だけでは致命的な刺激からは身を守れないこと。それがぼく自身の経験則です。

さて次も難問。詩のジャンルとは?これは流派と言った方が正確でしょう。もし日本の詩をジャンル分けするなら、短歌・俳句・自由詩という方が正確な分類になります。
流派とは音楽や絵画、演劇や小説と並行発展するので、実質よりも時代区分として便宜的に呼称される場合がほとんどです。西洋では古典主義→ロマン主義(自我主義)→自然主義(印象主義象徴主義)→理想主義→表現主義(フォービズム)→人民主義→モダニズム(フォルマリズム、ダダイズムシュールレアリズム)という変遷が19世紀初頭から20世紀前半までにあり、その総合が20世紀後半の芸術思潮だと言えます。
どの流派にも優れた詩人と安易な詩人がいます。宮沢賢治中原中也のように生前はダダイズムの前衛詩人と見なされながら没後急激にポピュラリティを獲得した詩人もいます。評価は後世、それが詩人の宿命みたいなものです。