人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

シド・バレットが歌う

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シド・バレット(1946-2006)はイギリスのロック・ミュージシャン。ピンク・フロイドのオリジナル・メンバーで、グループのファースト・アルバム「夜明けの口笛吹き」1967の魅力はほとんどシドの曲、ギター、ヴォーカルにあると言っていいだろう。
当時フロイドはロンドンの最先端クラブ「UFO」でソフト・マシーンと人気を競っており、先輩格のロッカーもこぞってUFOクラブを視察に訪ねた。ファースト・アルバム制作中は隣のスタジオで「Sgt.ペパーズ~」録音中のビートルズがしょっちゅう見に来ていたという。

ここで先走りして、図版掲載のアルバムをご紹介する。ピンク・フロイドをいわば「自己都合で」脱退したシドの、これが全ソロ・アルバムになる。

●「帽子が笑う…不気味に」1970
●「その名はバレット」1971
●「オペル」(70,71年録音の未発表曲集)1988

昔はこの辺のアルバムも廃盤だったりした。邦題もファーストが「幽玄の世界」、セカンドは「シド・バレット・ウィズ・ピンク・フロイド」だったはずだ。

ピンク・フロイドはファースト・アルバムのヒットでノリに乗っていた。シド以外の3人も個性的で意欲あふれるミュージシャンだった。そのうちシドの様子が明らかにおかしくなる。ミーティングやリハーサルでも心ここにあらずといった調子で、どうも薬物常習による統合失調様状態が慢性化しつつあるらしい。ついにはステージでどの曲も1コードしかギターを弾かなくなる事態に至る。
シドの後継者でギターとヴォーカル兼任はアマチュア時代から親交があったデイヴ・ギルモアにすぐ決まった。マネージメント側はライヴはシド抜きでもアルバムは参加を期待していたが、ピンク・フロイドのセカンド・アルバム「神秘」1968ではシドはいなくてもいい存在になってしまった。
マネージメントの思惑としてはフロイドとシドの両方を伸ばしたかった。フロイドの方はぐんぐん伸びていった。フロイドのメンバーにプロデュースさせ、なんとかシドにソロ・アルバムを作らせる。他人と一緒に演奏するのが不可能なのでシドのギター弾き語りにリード・ギター、オルガン、ベース、ドラムスを多重録音する手法がとられた。
シドは35年の闘病生活の後、糖尿病の悪化による失明、片足切断を経て亡くなった。Rest In Peace.