人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人・萩原朔太郎

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萩原朔太郎(1886-1942)は群馬県生まれの詩人。生涯の生計を父親の遺産でまかない、著作からの収入はなかった。日本語の可能性に挑んだ20世紀最大の詩人。デビューは遅咲きで28歳。新鮮な作風で一躍注目を浴びた。

『旅上』

ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもわむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいずる心まかせに。

静物

静物のこころは怒り
そのうわべは哀しむ
この器物の白き瞳にうつる
窓ぎわのみどりはつめたし。
(「純情小曲集」より)

日本の口語自由詩を決定した第一詩集「月に吠える」の刊行は1917年、32歳。

『殺人事件』

とおい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は瑠璃の衣装をきて、
こいびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびのあいだから、
まっさおの血がながれている、
かなしい女の屍体のうえで、
つめたいきりぎりすが鳴いている。

しもつき上旬のある朝、
探偵は瑠璃の衣装をきて、
街の十字巷路を曲った。
十字巷路に秋のふんすい。
はやひとり探偵はうれいをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいっさんにすべってゆく。
(「月に吠える」より)

1923年、第二詩集「青猫」刊行後に萩原家は夫人の出奔により崩壊する。その時期の詩編より。

『猫の死骸』

海綿のような景色のなかで
しっとりと水気にふくらんでいる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いているようす。
そうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待ちびとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯体の衣装をひきずり
しずかに心霊のようにさまよっている。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遅いのね」
ぼくらは過去もない未来もない
そうして現実のものから消えてしまった。……
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
(「定本青猫」より)

紙幅が尽きた。朔太郎については、また改めて。