人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ディラン『きみは大きな存在』

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今回の曲はしっとりとしたバラードで隠れた人気がある。原題は'You're A Big Girl Now'、アルバム「血の轍」'Blood On The Tracks'1974に収録。ニューヨークのバンド、ラヴィン・スプーンフルに'You're A Big Boy Now'という同名映画主題歌があり(1966年)、映画はなんとフランシス・F・コッポラの処女作だが、一種の慣用表現になるのだろうか。この邦題でもいいのだが、単純に訳せば…訳詞中では単純なほうを採ったが、物足りない感じなのはたしかだ。

『きみは大きな存在』

ぼくたちの会話は短くて甘美だった
ぼくはあやうく足をさらわれるところだった
そしてぼくは雨のなかに戻る
ああ、そして
きみは乾いた土地にいる
きみはやってのけたね
きみはもう大人なんだね

地平線にいる鳥が塀にとまって
ぼくのために歌う、自分自身の代価で
そしてぼくはあの鳥と同じだ
ああ、きみのために歌う
きみに届けばいいと願う
ぼくが涙をぬぐって歌うのが

愛とはたやすく使われる言葉
きみにはとっくにわかっていたこと
ぼくも学びつつある
ああ、どこに行けばきみが見つかるか
きっと誰かの部屋さ
それがぼくの払う代償
きみはもう大人なんだね

時間はあまりに速く飛んでいくジェット飛行機
ぼくたちが分けあったものはすべておしまい
ぼくは変わる、そう誓う
ああ、きみのできることを見よう
ぼくにもやり遂げられるから
きみもできるはずさ

天気は極端に変わることがある
だけどそれは途中で馬を替えるのとは違う
ぼくは変になりそうだ
ああ、まるで心臓にコルクがねじ込まれたように
苦しみが止んだり始まったりする
ぼくたちが別れてからずっと
(前記アルバムより)

ディランが高尚・難解というイメージで敬遠されがちだったのは、60~70年代にかけてはバラッド(叙事詩、物語歌)系の代表曲が真骨頂とされていたからだろう。おおむね長くて表現は難解、題材も非ポップ。『風に吹かれて』『はげしい雨が降る』『時代は変わる』『戦争の親玉』『ライク・ア・ローリング・ストーン』などなど。
だが短く明解でポップなラブ・ソングのディランもいい。まだあります(笑)。