人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アラン・レネ「夜と霧」1955

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

一度は見ておかなければならない映画、と誰もが言う。筆者もそう思った。それがアラン・レネの短篇ドキュメンタリー「夜と霧」1955で、アウシュヴィッツを検証する題材と手法は世界的に話題作となり大きな衝撃を与え、カラー・B&W・32分のこの作品がヌーヴェル・ヴァーグの主流(「カイエ・デュ・シネマ」派、ゴダールトリュフォーなど)よりも「セーヌ左岸派」(レネ、アニェス・ヴァルダ、ルイ・マルなど)の存在を知らしめた。

レネは劇映画に先立って短篇ドキュメンタリーの時代があり、出世作となったアカデミー賞短篇映画賞受賞作「ヴァン・ゴッホ」1948、ピカソの傑作を分析した「ゲルニカ」1949、ゴッホと対になる「ゴーギャン」、国立国会図書館の情報管理システムを描いた「世界のすべての記憶」1956などがあったが、「夜と霧」は映画の臨界点というべき凄まじい作品だった。以後劇映画でもレネは「二四時間の情事」1959、「去年マリエンバートで」1961、「ミュリエル」1963、「戦争は終った」1965などで戦争の災禍と生き残った者の記憶を追求し続ける。その原点はすべて「夜と霧」にあるだろう。

「夜と霧」とはヒトラーホロコースト発令のひとつで1941年12月7日に発布された。ワーグナーからの引用で「夜と霧のごとく消し去れ」と、ポーランドの多くのユダヤ系市民が跡形もなく強制収容所に拉致・監禁された。映画辞典から引こう。

○夜と霧 Nuit et Brouilard ポーランドワルシャワ近郊アウシュヴィッツにある有名なユダヤ人捕虜施設を対象にした記録映画。現在をカラー、ナチ時代を白黒で対比的に編集している。解説台本は詩人ジャン・ケロールが執筆、女の髪で織物を作ったり、死体の脂肪から石鹸を作るといった、言語に絶する残虐行為に対する怒りが、極めて冷静に、しかも深い嘆きとなって訴えられる。わずか31分の短篇ではあるが、真実のこもったこの作品が全世界の人々に強い感動を与えたことはまちがいない。日本の横浜税関では極端な残虐場面56秒をカットした。(昭和36・10・20)
(田中純一郎「日本映画発達史」)

短篇ドキュメンタリー映画の公開は難しく、レネが長篇劇映画の監督になってようやく本国から6年遅れで公開された。だがその反響は映画辞典の記述にもありありと描かれている。